The Taking of Saipan (サイパン島の獲得)出版  Top に戻る

今から70年前の1944614(終戦の前年) 日本から2500km南にある日本領サイパン島で激しい戦いの結果、サイパン島は陥落した。当時の東條内閣はサイパン島を日本本土の最後の防衛戦と位置づけて死力を尽くして戦ったが、迎え撃つ日本軍3万人に対して艦船400隻と10万人を超える兵力を投入した米国の前には敢え無く敗れた。制空権を奪われての空爆と艦砲射撃などの圧倒的な物量には勝てなかった。76日には玉砕命令がだされ、南雲中将等4人の司令官が自決し、1000人の生存者以外は戦死した。

米国がサイパン島奪回に総力を挙げた理由は航続距離6kmB-29爆撃機でサイパン島から日本本土への空爆を行うことが可能になることである。サイパン島とその沖合5kmに浮かぶティニアン島から19441125日にテスト飛行で爆撃、1945310日の東京大空襲から始まり、全国70都市以上がが空爆された。広島・長崎の原爆もテニアン島からB-29によって行われた。

本書は生存中のRichard Meadows(1924年生、Watertown,South Dokota)元海兵隊員のインタビューと日本海軍の市川源吉兵長(1921年生、静岡県丸子出身)194312月から19446月迄の間に書いた約80日分の日記を中心にサイパン・テニアン島の戦いを述べたものである。特に「二度と生きて日本には戻らない」との愛国精神で横須賀港を出発した市川源吉兵長が戦地で、子供の誕生日には子供に誕生日を祝ってやれないことを詫び、両親のことを想う記述は涙なしには読めない。

この市川兵長は1944614日に上陸して来たRichard Meadowsを含む米海兵隊2万人に対し615日未明に反撃をしたがほとんど全員戦死してしまった。そして翌朝海岸に横たわる500人以上の日本兵遺体の遺品からRichard Meadowsが市川兵長の日記を発見した。Richard Meadowsはこの日記を記念品としてカリフォルニアに持ち帰って持っていた。

本書の共著者である、Doug Westfalがこのことを知り、本書の出版を企画し、私に相談をしてきた。私はこうした本が、単なる過去の出来事に留まらず、今後の日米の相互理解に役立つと考えた。単なる市川兵長の日記の翻訳だけでなく、アメリカ人には理解出来なかった当時の日本の事情を理解してもらうために、日本についての解説記事も含めることにして、共著で出版することにした

 

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日本の事情を理解してもらうための、公平が書いた日本についての解説記事

The Decision Making Process on War , page40           日本での国策の決定方法

WWII Leadership,  page 42                                  戦時中の戦争指導者

Daihonei, The Imperial General Headquarters  page 43  大本営

Factions in the Army Koudouha and Touseiha, page 44        軍部の派閥

Assassinations By the Japanese Military, page 45      暗殺、226事件、515事件

Tojon's Cabinet, page 46                              東条内閣

Gyokusai Banzai Attack , page 67                      玉砕万歳攻撃

Escape from Saipan, page 88                           公平中将によるサイパン島から脱出るの試み、(東京へ報告したかった)

 

Masatake Kimihira, page 91

 

Senjinkun Field Service Code, page 94-95

 

Calendar of Japanese Forces For the Battle of Saipan, page 118-119