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意見・投稿・提言                                20180116

 

目次

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#14  現代にも活きる太平洋戦争の敗因を学ぶ、成功から学ものは少ない,敗因は勝因の宝庫  (公平良三著 サイパン島陥落 第6章のまとめ エルム 2015)

#13 般若湯の会での発表、2018/0/11 山本七平 日本 なぜ敗れる か、敗因21ヶ条 小松真一(1921−1973) 「慮人日記」 1975筑摩書房  

#12 般若湯の会での発表、 2017/12/09 小室直樹著 「日本の敗因、歴史は勝つために学ぶ」 講談社文庫 2001年 

#11 般若湯の会での発表、2017/07/13 「最強兵器としての治政学」あなたも国際政治を予測できる、藤井厳嬉著 ハート出版 2017

#10  2016年4月 般若湯の会」での発表 長尾和宏  「病気の9割は歩くだけてでで?治る」

#09  2016年4月 般若湯の会」での発表  書評:原発敗戦、危機のリーダーシップとは 船橋洋一著 

#08  日本は日露戦争勝利に傲り何も学ばなかった! 良いことは忘れ、悪いことは継続した! 公平良三 2015年

#07  橋爪大三郎・加藤典洋・竹田青嗣 共著 「天皇の戦争責任」 径書房 2011年

#06  日高 義樹著「アメリカの大変化を知らない日本人」 PHP 2014年

#05 2014年12月 橋爪大三郎・小林慶一郎 著「ジャパン・クライシス」 

#04 ホノルルの般若湯の会、読後感  2014/05/08 夏目漱石著 「こころ」

#03 ホノルルの般若湯の会、読後感  2014/01/17 橋爪大三郎著 アメリカの行動原理 PHP出版 2005  

#02  橋爪 大三郎 著「世界がわかる宗教社会学入門」  

#01 公平良三のTwiiter/Facebookでの主要投稿  2014/4/14まで

#12 *********************************************************

ホノルル・般若湯の会での発表資料  2017/12/09  公平良三

  1. 書籍 小室直樹著 「日本の敗因、歴史は勝つために学ぶ」 講談社文庫 2001年 
  2.  
  3. 著者略歴  (Wikipediaの要約)
  4. 小室 直樹(こむろ なおき、1932年9月9日 - 2010年9月4日)は、 日本の社会学者、評論家。学位は法学博士(東京大学・1974年)。東京工業大学世界文明センター特任教授。

    1932年、東京府荏原郡玉川村(現・東京都世田谷区)生まれ。1937年、5歳の時に同盟通信の記者て?あった父か?死去し、母の故郷て?ある福島県会津若松市に転居する。典型的な軍国少年て?、日本の敗戦の知らせを聞いたときの悔しさか?学問を志す原体験と自身か?述へ?ている。母子家庭ということて?幼少時の生活はかなり苦しかった。 福島県立会津高等学校入学。高校時代は秀才の誉れ高く、数学、物理なと?の学力は高校教師を凌く?ほと?て?あった。

    会津高校在学中に湯川秀樹博士のノーヘ?ル賞受賞を聞くと、日本か?アメリカ合衆国を打ち倒し、世界から尊敬を受ける ことか?て?きるようになる国になるための研究か?て?きると思い、京大理学部を志望。1951年に福島県立会津高等学校卒業し、京都大学理学部数学科に入学した。1955年、京大を卒業し、大阪大学大学院経済学研究科に進学アメリカ留学

    1959年、阪大大学院を中退したか?、市村の推薦て?、第2回フルフ?ライト留学生として経済学の本場アメリカのミシカ?ン大学大学院に留学。タ?ニエル・スーツ から計量経済学を学ひ?、更に奨学金を得て研究を続けた。1960年、マサチューセッ ツ工科大学大学院て?、ホ?ール・サミュエルソン、ロハ?ート・ソロー、ハーハ?ート?大学大学院て?はケネス・アロー、チャリンク?・クーフ?マンスらから経済学を学ふ?。 1963年、東京大学大学院法学政治学研究科に進学。 1967年から、ホ?ランティアて?所属・年齢・専攻を問わない自主セ?ミ(小室セ?ミ)を開講し、経済学を筆頭に、法社会学、比較宗教学、線型代数学、統計学、抽象代数学、解析学なと?を幅広く無償て?教授していた。小室セ?ミ出身者には 橋爪大三郎・宮台真司・副島隆彦・盛山和夫・志田基与師・今田高俊・山田昌弘・大澤真幸らか?いる。

    1980年、光文社から初の一般向け著作て?ある『ソヒ?エト帝国の崩壊 瀕死のクマか?世界て?あか?く』(光文社カッハ?、のち文庫)か?刊行されヘ?ストセラーになり、評論家として認知されるようになる。この本のなかて?小室は、ソ連における官僚制、マルクス主義か?宗教て?あり、 ユタ?ヤ教に非常に似ていること、1956年のスターリン批判によってソ連国民か? 急性アノミー (無規制状態)に陥ったことなと?をこれまて?の学問研究を踏まえて指摘し、またスイスの民間防衛にならい日本も民間防衛を周知させることなと?を訴えた。そしてこの本の「予言」通り、1991年に ソ連崩壊となる。

    テレヒ?生放送て?の発言事件

    1983年1月26日、ロッキート?事件被告田中角栄への求刑公判の日、テレヒ?朝日の番組「こんにちは2時」の生放送に出演 した。小室は田中角栄の無罪を主張し、田中角栄を優秀な政治家と評価していた。番組て? 小沢遼子ら反角栄側2人と小室 による討論を行った。ところか?冒頭、突然立ち上か?ってこふ?しをふり上け?、「田中か?こんなになったのは 検察か?悪いからた?。有能な政治家を消しさろうとする検事をふ?っ殺してやりたい。田中を起訴した検察官は全員死刑た?!」とわめき出し、田中批判を繰り広け?た小沢遼子を足蹴にして退場させられた。

  5. 私がこの本に出合った経過
  6. 私は元々理系だが、元東工大教授の橋爪大三郎先生の「旧約聖書を読む」と言うゼミに参加した。ここで、旧約聖書だけでなく社会学一般を学んだ。橋爪大三郎先生は自分の師匠である小室 直樹を絶賛した。私は、数十年前に、山本七平の「日本人とユダヤ人」を読み感銘を覚えた。私が良く引用する「空気」・「日本教」は同氏の創造語である。

    偶然、小室直樹と山本七平の対談である「日本教の社会学、戦後日本は民主主義国家にあらず」(ビジネス社2016年)と言う本があることを知り、読んだ。この中で、小室直樹が山本七平を「空気」・「日本教」について絶賛した。

    この本の著者紹介で、山本七平の「日本はな破れるか?、敗因21カ条」(角川ONEテーマ21 2016年)と小室直樹の「日本の敗因」を発見した。現在の日本にも活きる第二次世界大戦の敗因については、拙著「サイパン島陥落、現代も残る負けるべくして負けた21の敗因と今後の対策」でも取り上げたテーマなので、早速読んだ。驚いたことに私の20の敗因に対して山本七平は21だった。

  7. 小室直樹の「日本の敗因」の目次は8章・150項目あり、目次を見ると大体同氏の言いたいことが分かるので、この中で私が重要だと思ったことを次頁にまとめた。

小室直樹の日本の敗因で最も特長あるのは、私を含めて多くの人が「国力が50-100倍違う米国と戦争した」が敗因と言うのに対し、小室直樹は「上手くやれば勝てた」と主張する。

同氏によれば、にもかかわらず日本が敗れた原因は「腐朽官僚制」にあると指摘し、これが現在の日本にも活きているのが問題であると主張する。

ここで僭越ながら私見を補足すると、「腐朽官僚制」は霞ヶ関の官僚組織だけを指すのではなく、会社迄を含めたすべての組織のことである。この意味で「機能不全組織」と言ったほうが分かり易いのではないか?

こう思って現代の日本の数々の問題(日本経済の停滞・原発事故・東京オリンピックの競技場・豊洲市場・東芝の不正会計・大手メーカーの品質管理データの改ざん等々)をみると、すべての原因は機能していない組織である「機能不全組織」である。

5.目次

まえがき 勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す

第一章「敗因」は腐朽官僚制にあり  (頁数)

(029)「小」が「大」に勝つ例はいくらでもある

(031) 当時の軍部は腐朽官瞭制の典型

(032) 戦争を回避する妙策は「あった」

第二章 真珠湾攻撃に始まった日本の「敗因」

(106) 再攻撃で石油タンクさえ爆撃しておけば

(107) 太平洋艦隊司令長官に抜描されたニミッツの巻返し

(117) 南雲長官の判断ミスで勝機は去った

(120) 山本五十六の致命的失敗

第三章ベンチャーであった「ゼロ戦」

(165) 悔やまれるエンジンの選択

(166)「現場の声」は時代遅れ

(204) 資源の最適配分を考えないのはいまも同じ

(206)「むかし海軍、いま大蔵省」の失態

(209) 現場の声に気圧(けお)されて妥協

第四章勝てなかった日本のシステム

(236) フェティシズムに陥った軍隊

(241)「生きて虜囚の辱めを受けず」は日本だけ

第五章歴史に学ばなかつた国の悲劇

(276)「イフなきところに科学なし

(283)日露戦争を反省すれば、大東亜戦争に勝てた

(314)合理的思考を失った山本五十六

第六章戦後も脈々と続く「敗戦のシステム」

(360) 日本のマーケットは信長以前

第七章戦後日本経済に吹いた「神風」の正体

(369)戦前の官位組織と瓜二つ

第八章どぅすれば勝ち残れるのか

6.まえがき

勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す。

勝った戦争にも敗けたかもしれない敗因が秘められている。敗けた戦争にも再思三考すれば勝てたとの可能性もある。

 これを探求して発見することにこそ勝利の秘訣がある。成功の鍵がある。行き詰まり打開の解答がある。これが歴史の要諦である。

 戦後五〇年にして、日本経済は世界を制覇しつつあった。巨大なマネーを引っさげてアメリカさえ席巻する勢いであつた。

 敗戦後、焼け跡に立ちつくして、空腹に目のまわりそうな日本人のだれが夢想したことであつたろうか。このときの日本人にとつて、自動車を手足のごとく使い、冬でもアイスクリームを食べるアメリカ人の生活は、異星のできごとであった。

 一九八七年(昭和六二年)には、日本のー人当たりGNP(国民総生産)がアメリカを追い抜いたのであった。

しかし日本人は、この予想外の大成功の原因をよく考えてもみなかった。僥倖(予想外のしあわせ)の積み重ねにほかならないことを理解しなかつた。

 ジャパン・アズ・ナンパーワン、21世紀は日本の世紀などとおだてられていい気になつて陶酔的熱病が発症し、現実が見えなくなった。

 諸行無常の夢であった。ソロモンの栄華も野の白百合にしかざりきか。バブル破裂後、長期沈滞は居座り、経済は破綻し、財政は破産し、教育は朋壊した。何か方法はないのか? 答えは、大東亜戦争の「もしも、IF」の勝因を研究せよ、ということにある。望外の大成功は、人を茫然自失させ、アノミー(無連帯で混沌、規範を失った状態)を起こし、疎外(社会法則が分からなくなること)させ、現実感覚失わせる。まっしぐらに破局へ直行させる。

 大東亜戦争に日本が敗けた理由は、日露戦争の「もしも」の敗因を研究しなかったからでらった。

 日露戦争は百戦百勝であった。しかしこれは、僥倖による勝利であった。もしあのとき奇跡が起きなかったら日本は敗けて滅亡していたろう。そんな戦いがいくたびもあった。

 日露戦争前、世界の軍事専門家で日本の勝利を予測した者は一人もいなかった。日本の指導者でも勝てると信じた者など一人もいなかった。みんな決死の覚悟で開戦に踏み切った。それほどまでに日露の力は懸隔し、到底勝てる相手ではなかった。

日露戦争は敗けるべき戦争であったと石原莞爾中将は喝破した。しかしこの言葉に耳を傾けて日露戦争の敗因を研究する者はいなかった。

 日露戦争の敗因を徹底的に検討しなかったゆえに、大東亜戦争のときもまったく同じ経緯が繰り返された。

 大東亜戦争の劈頭は何人の夢想をも絶する圧勝であった。米英主力はたちまち全滅した。

三力月予定の南方占領作戦は予定より一力月早く二力月で終了した。クラゥゼヴィッツ大将をも驚倒させるほどの世界史上破天荒の偉業である。

 q戦の圧勝を活用して冷静な作戦計画を断行していれば必ず勝った。本書はそれを証明す
る。

 大東亜戦争の勝因の研究を怠つたために、戦後の経済戦争でも同型の軌跡をたどつた。

 戦争経済でアメリカに拮抗する増産に失敗した経済官僚は、こんどこそはと身構えた。経

済復興は合言葉となり、一億一心滅私奉公、日本国民は火達磨となつて日本再建へ突進した。が、再建をめざしたはずであったのに、結果は終戦時のいかなる人の空想も上まわる経済超大国にのし上がっていた。

 望外の大成功に日本人は、これが内外の僥倖の連続によってもたらされたことに気づかなかった。フェティシズム(目的倒錯)で、手段であるはずの経済発展が目的となり、経済敗

戦に突き落とされた。

 起死回生のためには、大東亜戦争の勝因に思いを致すべきである。戦争のときには国民の本性があらわれ本質が明らかになる。日本を奇跡の経済超大国へのし上げた原因の探求こそが、悲境からの脱出の鍵を与えるであろぅ。

 大艦巨砲主義と歩兵の吶喊で日露戦争に勝った。これと同じ方法で勝てると思ったところ に大東亜戦争の敗因がある。

 日本を経済超大国へのし上げた日本型システムが、今も通用すると思ったところに経済敗戦の原因がある。

平成11年12月8日 小室直樹

 

#11 *********************************************************

ホノルル般若湯の会にて発表 1016年7月14日   公平良三般若湯の会での発表、2017/07/13 於けるホノルル
「最強兵器としての治政学」あなたも国際政治を予測できる、藤井厳嬉著 ハート出版 2017

1.何故この本を読んだか?
私は、ここ5年間日本の近代史に興味を持ち、ロサンジェルスの米国人との共著で「サイパン島陥落」を日米で出版した。特に日本語版では、「コンサルタントが警告する現代にも残る日本が負けるべくして負けた21の敗因とその対策の提言」で日本が何故無謀な戦争をしたかを、現在の日本にも活かす分析をした。こうした中で、人間は何故戦争をするかを知りたくなったところで、この本に出合った。
藤井厳喜氏の略歴:1952年8月5日東京都江戸川区小岩生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業、ピーター・ドラッカーのいたクレアモント大大学(修士)、ハーバード大学大学院博士課程修了、同大学政治学部大学院助手。国際問題アナリスト、未来学者、評論家。専門は国際政治。拓殖大学日本文化研究所客員教授、警察大学校専門講師、株式会社ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ・オブ・ジャパン代表取締役。保守派言論人として知られている。
以下、「 」の中の文章は藤井氏の著書からの直接の引用である。
2.地政学とは?(5・21頁)
「そもそも、地政学というのはどういう学問なのか。それは「地理軍事学」といっていい。わかりやすく言えば、地図を戦略的に見る見方である。
 地図というのは非常に初歩的なものに見えて、実は非常に大事なものである。とくに国際政治、軍事を考える場合には地図は非常に重要である。地図をどういう風に戦略的に見るか。そこからどういう風に戦いに勝つかを割り出していく。これが地政学だ、と言ってもいいだろう。」
 つまり、地政学とは戦争するための学問である。この言い方が刺激的ならば、如何に国を守るかの学問である。残念ながら、世界中のすべての国が、日本の憲法9条を憲法に含むまでは、地政学で自分の国を守らざろう得ない。
 「地政学は自国が取るべき選択を必ずしも決めてはくれないが、取るべき選択肢は示してくれる。」
 すべての国は自国の安全保障を考える際、自国の置かれた地政学上の立場を正しく認識することが重要であることが、本書の主張である。あるいは日本には関係ないが、戦争を仕掛ける時も同様である。太平洋戦争で、日本が中国進出で戦線を広げすぎて失敗したのは、こうした地政学的な法則を無視しためである。」
 日本人の多くは、地図の見方を知らない。オランダのメルカトルが16世紀に考案した、球形の世界を平面図で表現した地図に日本を中央に置いた世界地図が世界中の国で使われていると誤解している。それぞれの国で、自国を中心にした地図を用いていることを理解しなければならない。(本報告書の5頁を参照)
 公平も初めて米国を訪問した際、米国が中央にあり日本は左端に載っている地図や沖縄県政府が作成した沖縄を中心に置いた地図を見たときは、ショックをうけた。
3.世界の国は2種類に分類できる(22・28頁)
●ランド•パワー「LandPower」 フランス・ドイツ・ロシア・中国など、陸軍を主体にした国家。(33頁)

●シ—•パワー[SeaPower](海洋国家)」 英国・日本・スペイン・米国など、海軍を主体にした国家。

ただし、第2次世界大戦後の米国はシ—&エア•パワー」という新しいカテゴリの国家である

4.世界の地域の戦争が起きる地域(34・35頁)
マージナル•シー[MarginalSea](縁海)と大陸の沿海部(リム•ランド=周辺地域)
 [マージナル•シー[MarginalSea](縁海)は、大陸の外側の弧状列島•群島•半島によって囲まれた海のことである。日本周辺には、北からベーリング海、オホーツク海、日本海、東シナ海、南シナ海と「縁海」が並んでいる。
 「リム・ランドとは、大陸の沿海部の周辺地域のことであり、日本・フィリピン・台湾などの島国と朝鮮半島・インドシナ半島(ベトナム戦争)・クリミア半島な」などの半島である。第1次大戦の始まりであったバルカン半島もリム•ランドである。また歴史的には、イベリア半島(スペイン・ポルトガル)・イタリア半島もリム・ランドであった。
 「朝鮮半島が日本のバッファーゾーン(緩衝地帶)として重要かが、こうした経緯でおわかりいただけると思う。要は日•日露戦争は、朝鮮半島を反日勢力に支配させないためにやった戦争なのである」。
5.戦争はどのようにしておきるか?
 これまでの人類の戦争の歴史は、ランド・パワー間の領土(土地・資源)紛争かランド・パワーがリム•ランドへ進出してこれを阻むン—•パワーと戦争がほとんどで、宗教上・イデオロギーの違いによる戦争は一般的に言われているほど多くない。
 「「縁海を支配する者が世界を支配する」とイギリス、大英帝国の戦略の基本は、シー•パワーとして実に明確なものであった。前記の地政学の理論でいえば、イギリスはリム•ランド戦略を戦略の中核においたのである。」(41頁)
 「日本でも、過去帝国海軍が海海戦以降、ずいぶんと国家予算を使ったが、英国のように経済合理性の発想は皆無に近かった。直接の植民政策を除けば、帝国陸軍も同様である。」
 「この「自由貿易を保障するものは海軍力である」とのテ一ゼは、現在の日本にとっても決定的に重要である。
 イギリスの海洋支配とは、実は大陸の沿海部(リム•ランド=周辺地域)支配であり、同時に大陸周辺の海、つまり縁海(マージナル•シー)の支配であったのだ。」
6.過去の戦争の地政学的考察
(1)日露戦争(44頁)
 「かつてのロシア帝国は南下政策をとって、常に極東への南下を志向していた。
 イギリスの「リム•ランド戦略=マージナル•シー戦略」の最大の発動が、日英同盟であった。イギリスは、日本列島といつリム•ランドとその周辺のマ-ジナマージナル•シーを間接支配下におくとにより、その海洋を通じてのユ-ラシア支配を完成させた。
 こうした英露の覇権争いは、19世紀中頃、極東の日本列島に向かって交錯しょうとしていた。
日本でこの事実にいちはやく気づいたのが福井藩士橋本左内(1834-1859)である。この先見の明をもっていた左内は言った。「やがて日本はロシアと組んでイギリスと戦うか、イギリスと選択をと戦うかの二者択一を迫られる」「しかしいずれの選択をするにしろ、そのとき日本は近代的な統一国家となっていなければならない。」
(2)太平洋戦争(56頁)
 「日露戦争で、英国と組んだ大日本帝国は辛勝した。しかし、勝ったはいいが、朝鮮半島はなおも不安定だった。伊藤博文(1841〜1909)ら当時の日本の指導者たちは、本当は朝鮮を独立させておきたかった。朝鮮が独立して親日的であることが望ましいと考えていた。しかし、結局は併合する道を選択する。そうすると、日本はさらなるバッファーゾーンが必要となって、最終的には満洲国をつくるという大陸関与政策を推し進めることになってしまったのである。
 帝政ロシアがロシア革命を経て、「共産主義ロシア=ソビエト・ユニオン」へと変わっても、ランド•パワーたるロシアの本質には、なんの変化もなかった。
 それと対抗するために、日本は常に陸軍を強化することになり、日本陸軍はソビエト連邦こそが最大の「仮想敵国」という戦略を取り続けたのである。脅威が大きければ大きいほど、バッファーゾーンは広い方がいい。しかし、これはシー•パワーの戦略ではない0

 日本はシベリア出兵の後さらに満洲国を確保し、さらに万里の長城の内部にまで踏み込んでしまった。
 英米からすれば、蒋介石という代理を使い、本来シー•パワーである日本を大陸に深く引き入れて、兵站線を延び切らせたのだから、戦略的には大成功であった。それで、1941年の日米交渉となったが、アメリカからのメッセージをよく検証すれば、アメリカは日本のチャイナにおける権益独占を非難はしたが、はじめはそこに満洲は入っていなかった。アメリカは「マンチユリア(満洲)•アンド•チャイナ」を明確に区別していた。本来親日派のハル国務長官[CordellHull]は、初期においては、マンチユリアは仕方ないが、チャイナからは撤退しろと、日本に要求したのだ。」
 「不思議なことに、シーパワーである日本には、英国と異なり兵站を最重要視する考えはなかった。」
(3)米ソ冷戦(101頁)
 「あの冷戦時代、米ソの戦略家たちは、この地図(本報告書5頁の地図参照)を見ていた。そうしながら、お互いの核戦略を練っていたのである。お互いにICBM(大陸間弾道ミサイル)とSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)をもっていた米ソは、北極を挟んで核ミサイルで相対峙していた。相手のどこにどう飛ばすか、相手のミサイルがどう飛んでくるかを日夜警戒していたのである。

 世界制覇を目指していたソ連としては、まず自力を陸伝いに伸ばして、ユーラシア大陸を支配することが第一目標である。冷戦を自由主義と共産主義の対立とみるのは皮相的な見方で、むしろシーパワー(シー•アンド•エア•パワー)のアメリカと、ランド•パワーのソ連の世界覇権争奪戦とみたほうがより現実的である
 かつてのロシア帝国は南下政策をとって、常に極東への南下を志向していた。それを実現させる極東の太平洋艦隊はウラジオストツクにあったが、この艦隊が外洋に出るためには4つの海峡を通らなければなら無い。だから南下したのだ。冷戦を共産主義と自由陣営の戦い、あるいはイデオロギー上の戦いと見るのは皮相的で、実は、それは昔から少しも変わらぬランド•パワーとシー•パワーの争いであった。」
(4)朝鮮戦争・インドネシアのクーデター・日本の1960年安保事件(128頁)
 「ランド•パワーというのは基本的に内陸から半島に進出し、次にマージナル•シーに出て周辺島嶼を押さえようとする。これをシー•パワーが迎え撃つ。この形は、朝鮮戦争やベトナム戦争だけではない。インドネシアでの1965年の9.30事件は、インドネシア在住の華僑を中国共産党が利用し、親共産主義の一部の軍人を巻き込み、仕掛けたクーデターである。このクーデター事件は失敗したが、成功していれば、インドネシアは親中の共産党独裁国家になっているところだった。これはランド•パワーたるチャイナが、リム•ランド(大陸周辺地域)であるインドネシアを制圧しようとした試みであった。
 「1960年の日本での安保事件も同様に考えられる。これも、ランド•パワーたるソ連とチャイナが、リム•ランドの日本をとろうとして、日本国内の親共産主義社会勢力を煽動した事件である。もし成功していれば、親共産主義政権が日本で生まれ、シー•パワーたるアメリカは、中ソ封じ込めの東アジアの拠点たる戦略列島•日本を失っていただろう。」
 インドシナ半島(ベトナム)と朝鮮半島にソ連が侵出し、そこでアメリカを迎え撃つというのは、すでに言ったように、ランド•パワーたるソ連としては、きわめて有利な戦いである。世界制覇を目指していたソ連としては、まず自力を陸伝いに伸ばして、ユーラシア大陸を支配することが第一目標である。」
7.軍事とビジネスの本質は同じ(58頁)
 「ここで日本人のビジネスマンに理解してほしいのは、「ビジネスも軍事も根本は同じ」ということである。欧米人と国際ビジネスをしている方ならわかるだろうが、彼らとつきあっていると、軍事用語がポンポンと飛び出してくる。
 これは、軍事用語がそのままビジネス用語に転化したからである。たとえば、彼らは「本社」を「ヘッドクウォーター」(司令部)と呼ぶ。また、戦争における「戦略目標」(ストラテジック•ターゲツト)をそのまま会社の今期の目標をいうのに使う。さらに、この「目標達成」のためには、「3つのC」が重要というがこれも軍事用語である。「3つのC」とは、コマンド[Command] (命令)、コントロール[Control](統制)、コミュニケーションにCommunication(情報伝達)のことだが、これはもともとアメリカ軍の組織の基本であるCommand、Control、Communicationと Information(倩報)を合わせてC3I”(シー•キューブド•アイ)と言い習わしている。この用語は:1980年代から一般化して用いられるようになった。「攻勢終末点」(これを超えて戦うと兵站が伸びきって勝敗が逆転するポイント、57頁)、は販売目標の達成には重要な概念で、販売網やセールス範囲がこの終末点を超えてしまえば、ビシ不スでは在庫をいっぱい抱えることになる。(公平注:在庫が無くなる?)また、セールスに励む販売員は、自分の仕事をよく「ミッション」(任務)と言うが,これも元来は軍事用語である。宗教でmissionとは布教•伝道のことである。
 では、なぜ、今のアメリカのビジネスにはこんなにも軍事用語が使われるのか?それは、現代の企業組織が軍隊の組織を基本にしてつくられたものだからである。19世紀の後半、いわゆる列強の軍隊組織は、ほとんどがビスマルク[OttovonBismarck](1815-1898)がつくった帝政ブロシアの軍隊組織を手本にしてつくられた。ビスマルクのプロシア軍は、普仏戦争(1870〜1871)で、当時最強とされたナポレオン式のフランス軍を破り、世界がその組織的強さに驚いたからである。
 プロシア軍の組織が画期的だったことの一つに、軍の頭脳として「参謀本部」があったことが挙げられる。参謀本部は作戦を立案し、司令官を補佐した。これは、企業でいえば「参謀本部」が経営最高会議であり、司令官は企業のCEOやCOOということになる。
 こうして、各国での軍隊組織はプロシア式が主流となり、それ資本主義経済のもとでの企業組織となったのである。アメリ力軍の組織もプロシア軍の組織をモデルとして発展し、第2大戦中に大幅に改善されて現代にいたっている。そして、アメリカでは軍隊経験者の多くが、除隊後は次々に民間企業に入か、あるいは起業家となるため、その組織は自然と軍隊に近く。さらに、軍隊というところは日々革新が行われているので、マーケットで戦う企業組織もそれを取り入れて変化していく。
 これは、戦後長きにわたって平和ボケし、組織的改善がなかなか進まない日本とは対照的である。アメリカ人にとって、ビジネスは形を変えた戦争なのである。ビジネスは戦争であり、戦争もまたビジネスなのだ。」
8.日本の今後
 「いよいよわが日本の地政学についてであるが、これは海洋国家、シー•パワーであることに目覚めよということにつきる。日本はどうすればいいか。文明論的なこともあるが、当面の課題はチャイナの脅威にどう対応するか、である。この脅威に対応できなければ日本の未来もなにもない。(182頁)
 アメリカの国力は衰えてはいるが相対的にはNo1であり、チャイナの価値観ややり方を決して好ましく思っていない。日本には核兵器もないので、アメリカとしっかりとした連携を組み、さらに、ー今までの日米安保のような——もはや日本が守ってもらうかたちではなく、日本の責任分担分を増やすことが必要である。日本がむしろ積極的にこの日米安保改定に取り組み、アメリカを逃がさず見放さず日米の二国間がしっかりと組めば、周りの東南アジアの国はこれに続くであろう。」(195頁)
9.読後の感想
理系の私には、これまで地政学的発想がなく本書をよんで「目から鱗」の感がある。また、地図と言っても各国でそれぞれ異なったものが使われているので、相手の見ている地図を見て考える必要も重要なことが分かった。
太平洋線戦争で、日本は地政学的な発想の欠如が敗因になったのも、全く同感である。。
著者の「ビジネスと戦争は同じ」との主張も真にその通りだと思う。
日本国内のビジネス・政治でも、地政学的な考えが必要だと思う。

#10*********************************************************

 長尾和宏 山と渓谷社 2015年 「病気の9割は歩くだけで治る」

私は、昨年12月のホノルルマラソンと4月のホノルルハーフマラソンを完歩して以来、歩くことにはまっている。東京でも銀座から品川の自宅までの7kmを良く歩く。この結果、体の調子が良くなってきたように感じています。そこで、歩くのが何故健康に良いかの医学的裏付けを探していたら、この本を見つけました。

般若湯の会には、医者である八八歳の福村燔a・木村健の先生が出席されていたので、素人の私としてはおそるおそる発言したが、両先生とも「その通り」と言って頂き、特に福村先生は「私は実行している」と言われた。

著者

長尾和宏 (ながおかずひろ)

1958年    香川県生まれ

1984年    東京医科大学卒業、大阪大学第二内科入学

1995年     長尾クリニック開業、現在に至る

医療法人社団裕和会理事長  

長尾クリニック医院長

山と渓谷社 2015年 1200円

以下、見出しは公平がつけた

1.江戸時代の人たちは、今の人たちよりも6倍くらい歩いていたそうです。江戸時代の庶民はだいたい3万歩は歩いていたといわれています。江戸時代には、自動車もなかったし、デスクワークなどの仕事はなかったからです。

2.歩くと生活習慣病が治る

肥満治療を担当していた時、食事を制限して自転車こぎを続けると、4週間の入院期間中に数キロ以上減っていくのですが、同時に血統も血圧もコレステロール値も尿酸値も見事に良くなるのです。

3.認知症に効く

アミノロイドβの沈着が認められ認知症が始まりかかっているMCIの人たちを集めて、毎日1時間、50から3ずつ引いていく計算をしながら歩いてもらったところ、1年後にはなんと脳内にたまりかかっていたアミノロイドβが消えていたというのです。

4.歩くと「幸せホルモン」のセロトニンが脳内で増えるのです。手をつないで、肩を寄せて歩くと、オキシトシンというホルモンの分泌も高まります。

5.歩くことは胃腸にも良い

胃腸の働きをコントロールしているのは何かと言えば、自律神経です。

「胃腸の調子が悪いのは、実は自律神経の働きが悪いからなんです」 必要なのは薬ではありません。やっぱり歩くことです。なぜ日本人は便秘がなく、便の質が世界一良かったのかというと、食物繊維豊富な野菜をたくさん食べて、よくあるく民族だったからです。やはり、歩ける人は歩いてこそ、自律神経が活性化されて、胃腸のぜん動運動が自然に活性化

するのです。

6.脳と腸の支配関係は、「脳が上で腸が下」と考えていたかもしれません。でも実際は、腸のほうが上位なので、どちらかといえば腸が脳を支配しているのです。

地球上に最初に多細胞生物が出現したのは40年前で、動物に進化したのは5億年前ですが、最初に備わった器官は腸でした。今でも、ヒドラやイソギンチャクなど、脳や心臓は持たず腸しか存在しない腔腸動物がいる一方、腸を持たない動物はいません。やっぱり脳よりも腸が先なのです。 腸内環境が悪くなると、幸せホルモンのセロトニンをはじめ、脳内ホルモンのバランスが悪くなります。そして腸の働きをコントロールしているのは自律神経なので、自律神経の働きを良くするには歩くことが大切になります。

7.がんの予防

歩くと、免疫力がアップします。がんの直接的原因は遺伝子の傷です。通常は傷ついても、その都度ちゃんと修復されるのです。 ところが、免疫力が低下していると、一部のがんを取り逃してしまいます。

8.私(著者)の風邪の治し方

風邪の一つの治し方はというと、これはあまり万人にすすめられるものではありませんが、私自身は、風邪を引いたかなと感じたときほど、歩くようにしています。引き始めに「葛根湯」を飲んで、それから歩いて少し汗をかき、お風呂に入ってゆっくり休む。たいていはこれで良くなる。 歩くことでNK細胞が活性化かれて、免疫力が高まるからです。

9.寝たきりの防止

特にお年寄りの場合、ずーっと寝たままの生活を続けたら、まず、「踵骨」という、かかとの骨がスカスカになっていきます。それから、腰椎や胸椎、脊椎、大腿骨などの骨密度も低下します。もっとも変化が少ないのは、いちばん高いところにある頭蓋骨です。

10.膝の痛みの防止と治療

65歳以上の3人に1人が手足の関節の痛みに悩まされているといわれています。関節の痛みといえば、代表的な病気が、「変形性膝関節症」変形性膝関節症を起こしたときに、「もっと痛くなると嫌だから」「動かすと痛そうだから」などと、歩かない生活を送っていると、関節を支えてくれていた周りの筋肉まで衰えてしまって、かえって悪くなります。だから、膝のだるさを感じたり、関節が痛みはじめたときこそ、むしろ適度にあるくことが大事です。

11.脳の活性化

歩くことで脳が活性化すると書いてきましたが、移動すること自体も、目から耳から鼻から新しい刺激が入り、脳が活性化します。

12.普段からよく歩いている人は「セロトニン顔」とでも言うのでしようか、独特な満たされたお顔をされています。やっぱりオキシトシンも出ていたのでしよう。

13.歩くと頭が劇的に良くなる。それは、関節的なものと直接的なもの、二つの理由があります。 脳が衰える一番の原因は、脳に届く酸素の量が減ることだそうです。呼吸によって体内に摂りいれた酸素は、一つには酸素を体に摂り入れる力を高めること、もう一つは血流を良くすることで、脳に届く酸素が増えます。

14.血流は、歩くことで良くなります。特に、「第二の心臓」と言われるふくらはぎの筋肉は、収縮することでポンプのような役割をして、血液の循環を良くしてくれます。歩くと、ふくらはぎを使うことになるので、足から心臓に血液を押し戻すのを手伝ってくれて、血流が良くなるのです。また、もう少し直接的な理由から歩くと脳に良いのです。手や足、目や耳といった体は、得た情報を脳に伝え、脳の指令を受けて動く、脳の出先機関です。 実際、手や足を使うと、脳内の神経細胞も刺激されて、神経細胞から「シナプス」と呼ばれるつなぎ目がのびて別の神経細胞につながり、新しい回路がつくられます。歩くことは、神経間のネットワークを活性化させる方法でもあり、神経細胞の数を増やす方法でもあります。

#9 *********************************************************

「2016年4月ホノルル般若湯の会」での発表 公平良三 書評「原発敗戦、危機のリーダーシップとは」


フクシマで「あの戦争の失敗を繰り返した」文春新書 2014年

著者紹介 船橋洋一 1944年、北京生まれ、東京大学教養学部卒業1968年に朝日新聞社に入社。 北京支局、ワシントン支局、アメリカ総局長などを経て、2007年から10年まで主筆を勤めた86年 に外交・国際報道でボーン・上田記念賞を受賞。主な著書に「通貨烈烈」(吉野作造)「同盟漂流」

(新潮学芸賞)「ザ・ベニンシュラ・クェスチョン」「カウントダウン・メルトダウン」(大宅壮一 ノンフィクション賞)などがある。朝日新聞退社後、「一般財団法人 日本再生イニシアティブ」を 設立し、福島第一原発事故を独自に検証する「民間事故調」を作った。本書には, NRC(米原子力規 制委員会)日本サイト支援部長のヴヤールズ・カストー氏と歴史作家の半藤一利氏との対談も含ん でいる。

私は、2015年発行の著書「サイパン島陥落、コンサルタントが警告する現在の日本にも残る負けるべくして負けた21の敗因」で、先の大戦で『日本が反省すべき21の敗因』を指摘したが今回原発の事故においても残念ながら再度、同じ反省すべき敗因が見られることを知った。 船橋さんは、著書で今回の原発事故を「第2の敗戦」と呼んでいるが、同じ行動様式で巨大な損害を発生させたことから、まさに至言であると考える。

私の指摘する『日本が反省すべき21の敗因』との関連で、私に原発事故の敗因を分析させて頂くと、敗因は原発事故の以前(事前予防の場面)と以後(事故対応の場面)の両方に見られる。

また、以下の説明で(カッコ中の数字)は、船橋さんの著書の関連部分の整理番号(対応するページ番号あり)、{公2-01}は末尾に添付した公平の『太平洋戦争の敗因から学ぶ日本の問題点』の表の対応する項目である。 なお、解説(強調文字)は、船橋さんの著書にはなく、他の調査報告書による。


事故の以前(事前予防の場面)

@ システムの不備、非常用電源設備を地下に置いたので津波で全滅、電源車とバッテリーが現地 になく東京から取り寄せた。(1) また、空気圧によるバルブ操作のための予備圧縮空気コンプ レッサもなかった。システムの不備、組織・人材配置・運用の不備、30分以上の全電源喪失 はありえないとして訓練していなかった。(2) 事故の際の最後の砦である冷却用のIC(非常用 復水器)の操作をしたことがなかった。{公2-01、2-04}


福島第一は米国からターンキーで導入した最初のプラントである。このため非常用電源設備は、 発電機は米国のハリケーン対策の例に倣い地下に置いた、津波による浸水対策は考慮外で、電 気室や配電盤の防水をしない設計であった。これが津波による全電源喪失の直接の原因とされ ている。これに対し日本国内の電話局では、過去の経験に学び非常用発電機を高所に置くのが 日本的な社内基準である。


A 原子力保安院の検査官が米国のように常駐せず(20)、しかも、たまたま居合わ{た検査官は事 故後現場から逃げた。(3)(4)(5)(19) {公2-01}

B 原発事故は起こらないとする過信(空気)(12) {公2-01}、ワーストシナリオを想定しな い決定(10) {公2-12,3-18}

C 国際原子力機関(IAEA)sの勧告を無視して、日本の基準を過信して日本独自のガラパゴス基準 を採用していた。(13) (14){公4-10}


事故の後(事故対応の場面)

E事故の際、対応する組織・リーダーがいなかった。{公2-01} 対策の指揮をとる組織ができるま でに4日かかり、その間は、現場・東電本社・首相官邸(しかも、1階の危機管理室と5階の首相執 務室)・原子力委員会など多くの船頭がいて、混乱を極めた。(15)(16)(17){公1-05}

F 現場では、第一発電所の吉田所長など優れたリーダとその部下がいたが、東電・官邸・原子力 委員会にはリーダーはいなかった。(2)(15)(17)(19)(21) {公1-05}

G 原子炉のベント(爆発を防ぐために、放射能を含んだ空気を大気に放出する非常手段)を行う ために、菅首相がへリコプターで福島に駆けつけたが、ベントの解放は原発運転の資格 を持つ運転員の判断と仕事であって首相の仕事ではない。{公2-01}

H 危機管理のためのインテリジェンス不足。(7)(8)(9)(25)(26) {公4-06}

I 文科省は放射能影響予測システムSPEEDIを住民避難に役立てようとはしなかった(11)。商業用 原子炉は通産省の管轄であるからと国民のパニックを恐れたからだ。 霞ヶ関の各省の縦割り行政。{公1-09}

J 現場での危機対応に、吉田所長以下,50人が不眠・不休で当たった。米国なら1000人で対応した。

(24) {公-6-20}

K 決定プロセスの間違い・決定しない。(4)(5) {公3-18}

L  事実を国民に隠した。(6)(11){公平注:大本営発表と同じ}

以下、上記を述べる船橋さんの著書の頁(カッコ内)

1.(Page 25) 福島第一原発の事故における最初の決定的なミスである1号機のIC(非常用復水器)の稼 働誤認はtうした「危機の霧」の中で起oた。1号機には応急的な原子炉冷却設備として)系統のIC という装置がある。津波による浸水が直流・交流の全電源を奪ったため、ICの弁の開聞を示すラン プの色が消えてしまい、運転員はICがうごいているかどうか、分からなくなってしまった。

2.(Page 40) 第1発電所の吉田所長は、独断で海水を注入した。「下士官兵は優秀だったが、上層部 は無能だった」。海水注入事件は「現場は強い、しかし、司令塔(本社、本店、政府中枢)が弱い」と言う日本社会の二重構造を改めて印象づけた。(この現場判断によるマニュアルに無い臨機の処置

として「消火系配管」が注水に使われ、好運にも崩壊熱対策として有効であり、結果として圧力容器の破壊を避け「破滅的な日本3分割』を避けることが出来た。)

3.(Page 58)事故の時、福島第一原発敷地内では、保安検査官たち8人が定期検査を行っていた。その うち第1発電所の敷地内に残ることになった保安検査官4人は、12日午後の一号機爆発の後オフサ イトセンターに一方的に退避してしまった。

4.(Page 59)最大の問題は、原子力安全・保安院が危機に際して現地の保安検査官に対して、免震重要 棟に「残れ」ともそこから「離れろ」とも、明確な指示をしなかったことにある。

5.(Page 60)第2次大戦開戦という決定は、「一見非(避)決定から踏み出した決定に思えるが、非(避) 決定の構造の枠内に留まっていたのである。「離れろ」とも「残れ」とも指示しない保安院の非(避)決定にこそ、「第二の敗戦」の本質がある。

6.(Page 71) 科学の敗北、「炉心溶融」は「炉心損傷」に言い換えられた。東電も保安院もメトルダ ウンと言う表現には病的なほど神経質になった。当事者が、物事の本質をずばり言うのを回避するの はなぜか。日本人に「言霊進行」があるからではないか、との見方もある。縁起でもないこと、物 騒なこと、不謹慎なこと、を言うとバチが当たる、と敢えて問題点をぼかす。要するに、臭い物に はフタをするメンタリティーと行動様式のことのようでもある。これと関連して、見ない、言わな い、の我関せずの傍観主義もあるかもしれない。(公平注:太平洋戦争でも敗戦と言わず終戦とい った)

7.(Page 78)3月16日米政府は日本の対応にたまりかねて、米原子力規制委員会NRCは職員を派遣してきたが)米国が受けた衝撃は日本政府の危機管理のためのインテリジェンスの弱さであった。イン テリジェンスは情報そのものではない。それは、行動や政策にとって必要な、ある目的を成し遂げるために欠かせない情報である。ありとあらゆる情報の中から、必要な情報だけを精査し、選別し、 評価することが大切になる。福島原発事故の対応の最大の問題はインテリジェンスの弱さだった。 事故発生後、原子力安全・保安院は災害対策本部の緊急時対応センターに数名の東電社員をリェゾ ンとして派遣してもらった。

8.(Page 79) NRC(米原子力規制委員会)が日本に派遣した職員は政府が独自に情報を取れないばかりか、 東電からまともに情報をとれないことに衝撃を受けたd


9.(Page 82)インテリジェンスを軽視してきた日本政府のインテリジェンス部門は戦後、長らく日陰者 扱いだった。現在日本には内閣情報調査室が内閣官房にあってインテリジェンスの総元締めとなっ ているが、防衛省は情報本部長、外務省は国際情報統括官がそれぞれインテリジェンスのトップの 仕事をしている。内閣危機管理監のポストは従来、警察官僚が占めており、そこの情報の多くは 警察情報である。

10. (90)太平洋戦争でも「最善のシナリオ」ばかり作っていた。そもそも、日本の原子力行政と原 発事業にとって「最悪のシナリオ」は禁句だった。「最悪のシナリオ」とは、原発の冷却機能の喪 失による過酷事故という「想定外の事故を織り込まなければならないからである。

11.(Page 94)宝の持ち腐れという言葉があるが、福島原発事故の際のSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測 ネットワークシステム)がまさにそれだった。SPEEDIは「原子力施設から大量の放射性物質が放出 vれたり、あるいはそのlそれがあるという緊急時に、周辺環境における放射性物質の大気中濃度 や被ばく線量などを、放出源情報、気象条件、及び地形データーをもとに迅速に予測するシステム」である。原発事故で放射能が外部に漏れた場合、住民を安全に避難させるのに役立てようというね らいである。(0.0年の米スリーマイル・アイランド原発事故の後、日本政府が120億円以上かけて 開発してきたご自慢のシステムだった。主務官庁は、文部科学省。しかし、文科省はSPEEDIを住民 避難に役立てようとはしなかった。d理由は原発は原子力安全・保安院の管轄であるからとSPEEDIに よると東京にまで被害が及ぶのでパニックになると考えたからだ。(公平注:米国は独自の空から の観測に基づき東京在住の米国人に東京を離れるようにメールを送った)

12.(Page 102)福島原発は起こらないとされてきた全交流電源喪失(SBO = Station Black Out)により起こった。なぜ、それに対する備えがなかったのか?その答えはそのような長時間にわたる全電源喪失 は起こらないはずだから安全規制の対象にしなくてもよい、というお墨付きを原子力委員会の審議 会が与えていたからである。1990年代初頭原子力安全委員会は「全交流電源喪失事象検討ワーキン ググループ」という審議会の作業部会を設置した。そのtろ、米国で全電源喪失事故が起こったた め、その事象への対策を原子力の安全規制に加えるべきか検討しようとしたのである。

13.(Page 110)2006年3月、委員会は国際原子力機関(IAEA)が前年11月に原災対策の新指針を導入すると 提案したのを受けて、日本のそれまでのEPZ(防災対策を重点的に実施すべき地域の範囲)の見直し の検討を始めた。(公平注:EPZでは原子炉から8-10kmと定めてある)保安院は、委員会に果たし状 を突きつけた。これを聞いた原子力安全・保安院は怒った。「IAEAの考え方を導入した新たな原子 力防災指針の検討を行なうことは・・・社会的混乱を惹起し、ひいては原子力安全に対する国民不 安を増大するおそれがあるため、本件の検討を凍結していただきたい」

14.(Page 110)世界標準に背を向けた日本の原子力安全規制の問題点を「ガラパゴス化」との表現で分析 したのは民間事故調の報告である。そこでも触れられているが、2007.年、IAEAは「規制機関である 原子力安全・保安院の役割と原子力安全委員会の役割、特に安全審査指針策定における役割を明確 にすべきである」と報告した。しかし、原子力安全委員会は2008年*月、「総じて、日本の規制は 国際的基準に照らしても非常にすぐれており、原子力安全の確保に有効に機能しているとの高い評 価を、幸いにも得ている」との声明を委員長名で出し、勧告を一蹴した。

15.(Page 127) 東京の米大使館も、日本に最初に専門家を送りtんだ米NRC(原子力規制委員会)も、米 軍も同じように感じた。一体、だれが最高責任者なのか。どこが、司令塔なのか。経産省と原子力 安全・保安院、防衛省と自衛隊、文部科学省と原子力安全委員会、警察と消防、官邸の,階(政務) と地下一階(危機管理センター)、それらのどことどこがどのように連携し、誰がどのように差配し ているのか。

16.(Page 129)最大の障害はまたしても縦割りの官僚機構だった.危機にのぞんで、日本が直面した最大 の壁は、個々の力を「トータルな力にまとめあげられなかった」いわばガバナンスの問題にあった からである。目的を実現すべく、資源(人間・物的)を最大限効果的に活用するために、権力、権限 をどのように行使すべきか。そのガバナンスが効かない。日本の統治の宿あとも言うべき官僚機構 の縦割り、たこつぼ、縄張りが、今回の危機においても最大の障壁となった。

17.(Page 139)歴史家の半藤一利氏は「だまって部下の作戦・行動を見守る静かにして重々しく堂々たる 総大将」という理想のリーダー論は、司令官を祭り上げ、自分たちが仕切ろうという戦前の”参謀本位制”残査だという。戦後、その種の指導者像は霞が関官僚の「理想の大臣像」として、また、 大企業の部課長クラスの「サラリーマン社長」に受け継がれてきた。これと関連して、日本のタテ のガバナンスの特徴の一つは、課長の存在の大きさである。それは団塊の世代サラリーマンの初芝 電気産業株式会社本店営業本部販売助成部宣伝課の「課長島耕作(弘兼憲史作、(1983年-1992年)に も「ロスジェネ」の東京中央銀行大阪西支店・融資課長(その後、同行本部営業第二部次長)の「半 沢直樹」にも表れている。とくに霞が関は”課長本意制”と呼ばれるほど、課長によるボトムアップ 型の起案システムを取っている。上に行けば行くほどモノを自分で書mなくなる。

18.(Page 156)先に紹介したレオ・ボスナー氏の報告書(Japan's Response to a Large-Scale Disaster: can it be Improves?) では東日本大震災の際の日本政府の災害対応の11の欠陥のうち「最悪のも の」は、教訓の学び方の仕組みが存在しないことであると指摘している。

19.(Page 167)原子力安全・保安院の保安検査官が、福島第一原発から事態が深刻化する前に逃亡してし まったことがあったのではないですか。保安院の本部は、現場に残れとも撤退せよとも指示を出さなかった。保安院の保安検査官には、事故が起きたらどう行動するべきか、という、規範が存在し なかったのです。

20. (Page 168)(米国から派遣されてきたカストーさん談)私も保安検査官を務めていましたが、米国 は日本と異なり、その原発専属の「常駐検査官」という立場です。原発周辺居住している専属なの です。各原発に最低2人の検査官が配属されます。そこに住み込み、常駐することで、危機に際し て中央制御室に駆け付け、原発を守ることが職務だけではない、自分の家族や友人、コミュニティ ーを守ることにも直結するのです。船橋、それぞれの原発専属の常駐だからtそのステークホルダ ー意識が真剣勝負の規制を生むのですね。カストー、他にも利点があります。専属の検査官がいる ことで、各政府機関、最終的には大統領にとっても、直接コンタクトを取れる部下が現場にいることになるのです。

21.(Page 180)なぜ現場は孤立するのか?今回の危機を通して、現場のメンバーには素晴らしい働きと リーダーシップを感じるにもかかわらず、日本政府や東電本店のような中枢はリーダーシップが発 揮されず頼りない。これは日本社会において長年にわたり繰り返されてきたことのようにも思いま す。

22.(Page 250)事故の前年、2010年10月20日と21日に中部電力浜岡原発で、福島第一原発の事故とまったく同じ事態を想定した訓練が行われていました。全電源停止による冷却機能喪失です。ところが訓 練では都合のいいことに最後に電源が復活して助かっちゃったというシナリオなんですね。当時これを視察した経産副大臣松下忠洋氏(故人)が東京にもどってから保安院の担当者に「最後まで電源 が入らなかった場合の訓練はしなくてよいのか」と尋ねると、担当者「いや、住民が不安になるか ら、それはできません。電源が回復されないことは絶対にありませんから」と答えたというのです。 要するに、訓練は訓練でなかった。ひとつの式次第だったわけです。

23.(Page 251) 半藤、日本の組織文化は儀式の文化である、というわけですね。船橋、ええ、そこには 誰かに恥じをかかせてはいけないという配慮が絶えずはたらいている。 半藤、日本の組織文化の特質は、不答責というものに直結していますね。

24.(Page 255)半藤、日米の危機に対応するときの考え方の違いとしてもう一つ例を挙げます。吉田所長 という指揮官以下の,50人あまりの現場の方たち、いわゆるフクシマヒィフティは頑張った。しかし 事故の規模からいって、アメリカなら50人とか70人なんてことはあり得ませんよね。 船橋、あり得ないです。なにしろ原子炉が6っもあるわけですから。国防相の幹部もカストーも1000人以上の規模で当たるべきだったとはっきりそう言っていました。

25.(Page 270)半藤、前の戦争のときの日本の情報機関も、海軍と陸軍と外務省で見事に全部バラバラで した。のみならず、おなじ参謀本部の中でも情報参謀と作戦参謀ではもっている情報が違っていた のですからまことに念がいっておりました。

26.(Page 270)船橋、第二次大戦末期のヤルタ会談直後、陸軍のスウェーデン駐在武官の小野寺信が、ソ 連が対日参戦の密約を結んだという情報をつかんで東京に上げますね。ところがソ連に米英との和 平仲介を依頼しようと考えていた参謀本部の一部の人間と一部政治家にとって、その情報は不都合 なものだった。

太平洋戦争の敗因から学ぶ日本の問題点 歴史を知らすに現在と今後を考えるな! 成功から学ぶものは少ない公平良三 20 6/4/29

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#8 *********************************************************

日本は日露戦争勝利に傲り何も学ばなかった!
日本は日露戦争勝利に傲り何も学ばなかった! 良いことは忘れ、悪いことは継続した!
日露戦争と太平洋戦争の比較   右側は半藤一利・戸高一成他著 「徹底検証日清・日露戦争」文春新書828  左側は公平著「サイパン島陥落」    2016/12/10 公平
太平洋戦争 比較事項 日露戦争
1941/12/08(昭16年)-1945/08/15(昭和20年) 期間 1904/02/08(明治8年、明治維新から36年・日清戦争から10年)-1905年05/28
日本の戦死者230万人/500万人/5千人(除くシベリア抑留者)。米国の戦死者44万人/参戦者16百万人・捕虜1万人(?) 戦死者/参戦者/捕虜 日本の戦死者5.5万人/参戦者30万人/捕虜2千人。 ロシアの戦死者3万人/参戦者50万人・捕虜8万人
日本が満州国を作り・資源を求めて南方に侵攻したので米国主導で経済制裁をおこなった。 開戦理由 ロシア帝国が中国に南下してきて日本の利権を脅かした。日本が日清戦争で得た朝鮮半島の支配権を守る。
「八紘一宇(はっこういちう)で民族自決」日本の東南アジア侵略を正当化する為に古事記以来の言葉を使用した。 戦争の大義 「日本の独立を守る」 「ロシアの膨張を防ぐ」
4回にわたる大本営政府連絡会議で全員一致で御前会議への上奏案を作成。元老は死に絶えており、天皇の発言はほとんど無い 開戦の決定 5回にわたる御前会議で決定。伊藤博文・山県有朋・井上馨・伊藤博文・松方正義などの元老が機能した。明治天皇も発言した
米国は日本の50-100倍の国力。日本は石油の75%を米国から・20%をオランダから輸入していた。鉄くずも米国から輸入していた 両国の国力 日本の10倍の大国・日本の艦艇94隻25万トンで世界第5位だがロシアはその2倍・日本陸軍は25万人・ロシア陸軍は200万人。
ミッドウエイ海戦(1942/06/17)で空母4隻と航空機289機を失う。ガダルカナル島の戦い(1942/08/07- 1943/02/07)で陸海軍は壊滅的損害。サイパン島陥落(1944/06/15)でB29が日本を空襲が可能になる ターニングポイント 203高地・旅順要塞(1904/12/05)と奉天会戦(1905/03/15)での勝利。日本海会戦でバルチック艦隊を破る(1905/05/28)
近衛秀麿・東条英機・鈴木貫太郎の各首相、長野修身海軍軍令部総長・及川古志郎海相・鈴木貞一企画院総裁 国内のリーダー 桂太郎首相・山本言兵衛海相・小村寿太郎外相・寺内正殻陸相
山本五十六海軍連合艦隊司令長官・第一航空艦隊司令長官(真珠湾・ミッドウエイ海戦)・山下奉文陸軍第25軍司令官(マレー作戦) 現地指揮官 10年前の日清戦争の経験者である乃木希典陸軍大将(56歳)・東郷平八郎海軍大将(58歳)・大山巌陸軍陸軍大将・児玉源太郎陸軍満州軍総参謀長
国際連盟を脱退(1933/03/27)・日米通商条約失効(1940/01/26)・日独伊三国間条約(1940/09/27)・日ソ中立条約(1941/04/13) 外交 日英同盟(1902/01/30)・米国の支持を取り付ける。時のルーズベルト大統領とハバード大の同窓生である井上堅太郎を米国に派遣してPR活動
なし 諜報活動 明石元二嘯ェロシア革命を扇動した
連合国側から無条件降伏であるポツダム宣言を出されて受諾 終戦の仕方 米国ルーズベルト大統領主導の米国でのポーツマス講和会議
@長期的な国の方針・戦略がなくその場限りの場当たり的な対応A明治維新後の体制の設計不良と運用の間違いと不適格人材B日清・日露・第1次世界大戦での勝利の過信と勝因の分析不足C済不況と政治・政府不信D長期ビジョンを持つ強い指導者・リーダーの不在E情報戦で敗れる、情報分析の不足F外交力不足G空気(故山本七平氏が提唱)に弱い、マスコミの責任が重大H国・組織内部ベクトルの向きが揃っていないI米国の国力・民意の読み違いJソ連の国情に対する無知K終戦のやり方を考えずに開戦したL動き出したら止められないMロジスティックスを考えないN精神論に頼りすぎる、竹槍で機関銃には戦えない。O技術力・工業力で米国に負けたP陸軍と海軍・外務省と陸海軍で情報を共有しなかった2チャンネル外交Q現地からの情報の軽視と長期的計画なしの決定R全員一致・本音の議論なしの先例を重んじる決定プロセスS人命軽視(他人・自分)と降伏しない戦争?欧米人の異文化・異人種に対する偏見を見落とした 問題点 @日清戦争での旅順要塞攻めが簡単だったのでロシアの旅順要塞を甘く見た。A203高地攻略で9日間で8千人の戦死で代表される人命軽視の肉弾戦争B大鑑巨砲主義に向かったC6隻の艦隊はすべて外国製D弾丸の不足E指揮官の戦死が多く戦えなくなっていたF兵站の不足G政府は戦費増大による国の窮状を国民に知らせなかったH乃木将軍を崇拝する乃木イズムができたI病死が2.7万人と多かった

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#7 *********************************************************

加藤・橋爪・竹田 共著 「天皇の戦争責任」 径書房 2011

『天皇の戦争責任』2011年 径書房 558頁 本体価格2900円 著者の経歴は2011年当時   2016年1月24日 公平良三

 私は、ここ数年日本の戦争の歴史を勉強してきた。この際、かなり気になったのが昭和天皇の戦争責任である。拙著『サイパン島陥落』で、現在の日本にも残る負けるべくして負けた21の敗因の1つに、明治憲法の欠陥のために欧米から輸入した立憲君主制が機能しなかったことを挙げたものの、やはり天皇は何かできなかったかと感じていた。理由は、天皇は軍をコントロールする統帥権を持った日本の最高権力者であったのだから、軍を抑えて戦争を止められなかったかと感じたからである。

こうした私の疑問に答えてくれる本が見つかった。しかも、私が文系の師と仰ぐ身近な橋爪大三郎先生の著書である。橋爪先生は、セミナーで100時間以上の話を聞いたし、多くの著書も読んだ。この情報公害の中で、私は先生の考えには95%は信じている。従って、天皇の戦争責任の問題も先生のご意見を信じることにした。以下、お忙しい方のために、私が重要と考える発言をまとめる。

 この本は、天皇に責任があるとする加藤と、責任がないとする橋爪のバトルを竹田の行事役でおこなった記録である。以下、(括弧)内は頁数。 ******************************************

著者 加藤典洋・・・かとう・のりひろ 1948年、山形県に生まれる。東京大学文学部仏文科卒業。国立国会図書館勤務を経て、現在、明治学院大学国際学部教授。 橋爪大三郎・・・はしづめ・だいさぶろう 1948年、神奈川県に生まれる。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、東京工業大学大学院社会理工学研究科教授。 竹田青嗣・・・たけだ・せいじ 1947年、大阪府に生まれる。早稲田大学政経学部経済学科卒業。現在、明治学院大学国際学部教授。

@ 橋爪(34)天皇の責任を言い立てているものの代表として、井上清『昭和天皇の戦争責任』、家永三郎『戦争責任』、吉田裕『昭和天皇の終戦史』をあげてみましょう。ここで述べられていることを、簡単にかみくだいて言うと、戦争をめぐる考え方の筋道に関してはだいたい同じなんです。「彼らは戦争をしたからよくない」という文体になっている。そして、その責任を追及している著者、およびその背後にいる日本国民は、そのぶんだけ無責任というか、無当責になっている。いわば戦後日本という安全な場所から、自分たちとは無関係な人びとのこととして、戦争をした(あるいは、せざるをえなかった)大日本帝国を糾弾している。私に言わせれば、こんなことはなんの意味もない。

A 加藤(60)国に責任がある限りで、天皇にも責任がある。やはり天皇が政治的主権をもった統治権者だったからです。それに軍隊を統帥する、いちばん上の責任者だったからです。もちろん、当時の状況とてらしあわせて情状酌量すべき点がたくさんある。けれど、ベースは、この「責任がある」であって、そのうえで、でも当時の状況にてらすと、その総量はそれほど大きくはなかった、という話になるのではないかと思う。

B 橋爪(65)いま加藤さんが提示されたかたちにそって簡潔に言ってみますと、戦前の憲法のもとでは、天皇に法的責任はない。(公平注:明治憲法第3条「天皇は神聖にして侵すべからず」第55条「国政は国務大臣が輔弼しその責任を負う」により、天皇には責任がない) 政治的な責任については、天皇は本来政治的な存在でなく、政治的に行動すべき立場になかったのだから、政治的責任は生じようがない。たまたま政治的に行動せざるをえない局面のなかでは、昭和天皇はベストの選択をしている。

C 橋爪(78)専制国家だった明治の最初の二十数年間と、明治憲法体制がスタートした1889(明治22)年からあとの立憲君主制国家としての50年あまりの時間が戦前にはあるわけですけど、その期間を通じて日本はまがりなりにも近代国家近代国家となり、まったく新しい社会と空間をこの日本列島の上につくりあげたのです。しかし、大日本帝国という名前のついたこの国家は、みかけこそ近代国家のかたちをとっていたけれども、その実、組織的な欠陥があった。これは、個々人がどんなにそれをカヴァーしようとしてもしきれないような構造上の欠陥だったんです。その欠陥がどのようなものだったかは、あとで述べたいと思いますが、この欠陥のために、不合理な戦争を起こすことになり、その戦争に国民が邁進することになり、そして敗戦によって国家が解体し、占領されるという事態を招くことになった。

D 橋爪(140)私が天皇を評価する最大の理由は、いくつかの局面で天皇が法律による軍隊のコントロール、憲法による国のコントロールを最大限に追及したからです。(例、226事件・ポツダム宣言受諾)彼が守ろうとしていた憲法体制とは、役割と権限と地位と義務と権利からできている憲法体制であって、少なくともそういうやり方で日本国を運営しなければ、この国は同時代の国際的な水準に立てなくて、どうしようもない国になってしまうと考え、そういう義務感のようなもので動いていたと思う。

E 加藤(141)昭和天皇はよく頑張った、しかし総体としては「結果オーライ」のお調子者というところがあり、その点、統帥権者として弱かった、というのが僕の評価です。たしかにいろんな局面で法的なものを守ろうとはしたし、そういう人間が当時の日本の主要メンバーのなかでごく少数だった。だけど、近隣諸国の住民に対する侵略の責任、戦争の死者に対する政治的、道義的責任が天皇にあることにはかわりない。しかもそういうことに天皇自身は戦後、口をぬぐっている。

F 橋爪(146)戦争時に、軍隊は作戦命令に従って動くのですが、その作戦命令を起草立案するのは陸軍の参謀本部と海軍の軍令部で、その命令を全軍にくだす最高指揮官が、大元帥であるところの天皇です。ただし、大日本帝国憲法は曖昧で、天皇が陸海軍を指揮する場合に誰が輔弼の責任をとるかを明示していないんです。そこで、慣例上、陸軍の参謀総長が起草し、天皇が署名をして、それをそのまま下達する。海軍の場合も、軍令部長が起草し、天皇が署名して下達する。これを奉勅命令というわけです。これによって具体的な戦闘行為を行う。その責任は、輔弼関係である軍の統帥部が負うことになると考えられます。

G 橋爪(146)御前会議といっても、本来は形式的なもので、天皇の臨席のもと、すでに決まったことを天皇の前でもう一度述べるだけの儀式です。天皇はオブザーバーで、この会議の構成員ではないと考えられます。終戦間近のときは、大本営政府連絡会議は最高戦争指導会議と名前を変えて、終戦に関する御前会議を何回か開催している。こういう権力関係になっていたと思います。天皇は大元帥ですから、軍の最高指揮官であり、なんでも命令できるようなイメージが一般にありますが、御前会議に臨席しても、会議のメンバーではないから、黙って座っているだけで、原則として発言しないんですね。統帥部の判断に裁可を与えるという立場であったと思う。 

H 橋爪(154)公人としての天皇には行為能力がないのだから、そもそも被疑者たりえない、という考え方なのです。従来の天皇の責任論は、天皇が実際にとった行動や、大日本帝国の構造についての無知からきている場合がほとんだと思われる。

I 加藤(180)総体として昭和の天皇という人の性格は、「結果オーライの人」、そして「信賞必罰を怠る人」とみえる。この人は、ある不法行為に対し、最初は強く反対するんだけど、結局、事態がその逆にいくと、それを追認してしまう。その「信賞必罰のなさ」、「現状追認」の最初の例が、ここに顔をだしている。この事件で(公平注:張作霖爆殺事件)、天皇がその危険性をみぬいて素晴らしい洞察を示したというふうには読みにくい、というのが僕の結論です。

J 加藤(190)僕の感じだと、1928年の張作霖爆殺事件のときもそうだけれども、この1931年の満州事変のときにも、天皇が信賞必罰をしっかりと行うべきだった。とくに満州事変の場合は、朝鮮軍司令官の干犯行為を処罰できるのは統帥権者である天皇のほかにいないわけですから、処罰の意思をきちんと表明して、林銃十郎中将(公平注:天皇の裁可を仰がず軍隊を中国に派遣した朝鮮軍司令官)を謹慎処分することが必要だった。これは「失政」のひとつに数えられる。

K 橋爪(196)それは、当時の日本軍のメカニズムを知らない、暴論だと思う。軍規違反を処理するには軍法があり、師団や軍中央がそれを行う。政府はまったく関与できないし、天皇も軍規違反をそのままにしておけないと思っても、その手続きが存在しない。軍規を守るように、と繰り返し注意するのが精一杯なのです。「天皇にしか権限のない」のではなく、陸軍大臣にしかない(公平注:中将を軍法会議にかけるのは)のですが、その陸軍大臣をはじめ軍中央にまったくその気がない。

L 橋爪(219) 天皇は、陸海軍の統帥権者でありながら、実質的に陸海軍をコントロールする方法を、なにももっていなかったという制度上の構造を、よく理解しないといけません。そのなかで、非公式に、よく努力していたと私は思う。あべこべに戦争をけしかけている記録など、ひとつもないのです。

M 加藤(225) いちばんの相談相手は木戸幸一。このとき木戸は内大臣だった。(公平注:1941年の東条首相の任命)

N 橋爪(225)木戸には天皇を輔弼する権限が憲法上ないんです。ですから、木戸が内大臣という立場で天皇に後継首班は誰それがいいと意見を述べたとしても、どうやってその責任をとるんだという問題が実はある。

O 橋爪(232)内奏のときも天皇は「私はそれに反対だ」というようなことは言えないのです。天皇は意見を言ってはいけない。そこですべて質問のかたちにする。「おまえは対米英開戦をするというが戦艦は十分にあるのか」とか「燃料が切れたらどうするのか」とか全部、そういうかたちの質問をする。質問によって、危惧を表明し、意見を述べることができる。

P 加藤(301)戦前部分と戦後部分の違いをはっきりさせてほしい。自己批判の姿勢を示してほしい。そういう要請が、彼が国民の総意に基づく戦後の人間天皇である以上、それこそ合憲法的に考えて、でてくるんじゃないだろうかと思う。統合の象徴であり、人間天皇であることを引き受けるとは、そういうことなんじゃないだろうか。

Q 橋爪(301)それは話が逆ではないだろうか。戦後日本の主権者は日本国民なのだから、謝罪したければ日本国民が謝ればいい。また、日本国民が謝らなければ、謝ったことにならない。いくら戦前の主権者だったからといって、天皇が国民をさしおいて謝ることはできない。天皇はそういうことを、よーくわかっていますよ。加藤さんの考え方こそ、ぜんぜん戦後的価値に立脚していないじゃない。

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#6  *********************************************************
日高 義樹著 「アメリカの大変化を知らない日本人」 PHP 2014年

米中の通貨同盟が結ばれた

p12 2012年冬、北京が最も冷え込んだ日にワシントンから2人の男が北京の中南海を訪れた。2人のうち、ブルーのストライプの背広を着た長身の痩せた男性はアメリカ財務相に新しく設置された情報分析局の敏腕の高官で、もう1人はアメリカ政府からSWIFT(国際銀行間通信協会)に出向しているホワイトハウスの国家安全保障担当補佐である。

2人の仕事は拡大を続ける中国経済の象徴とも言える通貨の人民元とアメリカ通貨のドルの共存体制を協議するための下準備を行うことだった。その半年後、カリフォルニア州のリゾート、ランチョミラージュでアメリカのオバマ大統領と中国の習近平主席が会談した。この会談は2時間あまり続いたが、異例なことに公式の記録が残っていない。

p14 アメリカはSWIFTを通じて、中国のあらゆる金融活動を調査分析し、中国全土に蔓延する汚職と政府首脳の不正行為を暴き出した。中国はアメリカの脅しに屈して通貨同盟を結ぶ事を承諾させられたのである。

p15 人民元はドルによって国際通貨としての価値を保証され、逆にドルは人民元の持つ将来性によって保証される事になった。

p36 人民元を切り上げることを要求せず、そのまま受け入れたことは、これまで日本をはじめとする友好国に対して取ってきた態度とはまったく違う。

財政赤字に苦しむアメリカはドルを基軸通貨として維持する為に中国に対してできるぎりぎりの線で妥協したのである。

財政赤字に苦しむアメリカはドルを基軸通貨として維持する為に中国に対してできるぎりぎりの線で妥協したのである。

FTPP問題

p52 2011年12月、当時の自民党の指導者たちがワシントンにやってきた。自民党の非公式な代表としてやってきた政治家たちは、民主党政権になって悪化していた日米関係を改善するために、ワシントンの指導者たちに会いに来たのである。自民党の首脳たちは、野党ながら真面目な努力を続けていた。

p53 日本がTPPに参加しなければ、TPPそのものの意味がない。経済大国日本がTPPに参加し、自由貿易を推し進めてこそ世界経済が動く。何はともあれ、日本の加盟を望んでいる。ドナヒュー全米商工会議所会長はこう述べ、日本側もその熱意に打たれて、TPP加盟に積極的な態度を示した。具体的な内容には至らなかったが、ドナヒュー会長は日本側がTPPに参加し、アメリカと共に世界の自由貿易体制の強化に協力すると信じたのであった。

p57 その後、安倍首相が訪米し、日銀の金融緩和政策や、それに伴う円安、そしてTPPの問題が話し合われたと聞いているが、大枠で、日本は自由貿易を拡大し、アメリカ経済、ひいては世界経済を活性化するために協力する姿勢を示した。日本はTPPを基本的に指示しているとおもわれたのであった。

p58 オバマ大統領は日本がTPPに参加するという前提で円安を容認した。1ドル100円程度であればむしろ貿易を拡大するのに役立つと思ったに違いない。ブッシュ政権のもと、アメリカ商務省で貿易問題を取り仕切った私のの友人がこう言っているが、アメリカ側は自民党の政治家たちと全米商工会議所のトム・ドナヒュー会長の話し合いから始まり、安倍首相の訪問にいたる。

米国は一連の動きから、日本はTPPのメンバーとして自由貿易を推し進めると思い込んでいたのである。

p75 アメリカと中国がドルと人民元をめぐって妥協し、いわば政治的な同盟体制に入ったことは、とりもなおさず、日本が後ろ盾にしてきた日米安保条約の位置が変わってしまったことを意味する。これまで日米安保条約の仮想上の的は中国であると気軽に考えてきたが、通らなくなってしまっている。

p80 今度のTPP問題で日本政府が日本の国益に執心し、「関税をすべて廃棄することはできない」と主張しているが、この問題が日本にとってさらに重要なエネルギーの輸入問題に影響してくる懸念がある。

ハイテク武器の進歩

p94 ハワイの太平洋空軍司令部を訪問した際、「E3AWACSは十数機のステルス戦闘爆撃機f22を指揮、制御することが可能だ」若い編隊長がこう言ったが、レーダーに映らないステルス性の戦闘爆撃機をどうやってレーダーでコントロールするのかなど、一般には明らかにできない情報についても話してくれたが、このとき、彼の言ったことが非常に印象的だった。

p95 ハワイのヒッカム基地にアメリカ最新鋭の長距離輸送機、 C17 が20機あまり並んだのは壮観だった。C17は戦車を搭載した上、1個中隊の完全装備の歩兵を運ぶことができる。C17は基本的にハワイを基地とし、東南アジア各地に直接出撃することになっている。アメリカのアジア戦略を根本的に変えることになる。

日本国憲法は米国が作った

p112 マッカーサー司令部やアメリカ国防総省が当時考えたのは、アメリカ軍が日本全土に対する占領を日米安保という名のもとに続け、日本の独立後も、ソビエトや中国がやってこられないようにすることだった。

さらに、もう一つ重要なのは、日本が中国を攻めることを懸念し、日本の軍事行動を規制することだった。マッカーサー占領軍の元幹部たちにインタビューして分かったのだが、マッカーサー司令部をはじめアメリカ国防総省は、日本が軍事力を行使し、中国を攻めることを真剣に心配していた。アメリカは独立後の日本の軍事行動を規制するために日米安保条約という箍をはめたのである。むろん、このことをアメリカ軍首脳は日本側に明らかにしてはいない。だが、安保条約のもとに、日本の独立後もアメリカ軍がそのまま日本に駐留し、日本の軍事力の拡大に箍をはめたことを見れば、こうしたアメリカの基本的な考え方は容易に想像がつく。

集団的自衛権

p117 「ライツ・オブ・コレクティブ・セルフ・デフェンス(集団的自衛権)という概念はアメリカの戦略構想の中に存在しているのか?」こう聞きたかったのだが、まず集団的自衛権について説明するのが難しかった。

p118 セルフ・デフェンス、自衛という言葉は、概念としても軍事用語としても存在する。ところがコレクティブ・セルフ・デフェンスとなると、実に説明しにくい。海軍大学の関係者やスウェーデンのストックホルム国際平和研究所でも同じ経験をした。

日米相互安全保障協定

p122 日本とアメリカという二つの大国が安全保障を共有するには、相互安全保障協定を結ぶ以外にない。

日本とアメリカが組んで、共同の安全保障体制をつくりあげるべきだ。安保屋(日本の安全保障題をビジネスとして扱っている人)などを介在させず、日本政府の首脳がアメリカ政府の首脳と対等に付き合って、国の安全を図るべきである。

p126 私が仕事のうえで意見を交換するアメリカ国防総省の担当者達も、日本が今もなお日米安保条約のもとで国の安全をアメリカに依存している現状に呆れている。日本が軍事力を拒否する憲法を依然として大切にし、平和主義を主張していることはよく知っている。だがそういった「日本人の考え方は平和主義というよりは、国を守るという重大な仕事を怠けたいと思っているからではないか」

p132 日米安保条約は冷戦の始まったころの産物である。中国が弱く、混乱していた時代、アメリカはアジア極東の安全保障をすべて担おうとした。「そういった時代が終わった」という意味で日米安保条約は時代遅れになったと、多くもアメリカ人が考えている。

ハイテック武器

p144 2013年12月11日、アメリカ陸軍は歴史始まって以来初めて、装甲車に搭載した高エネルギーのレーザー砲で、飛来する90発の砲弾を撃ち落とすことに成功した。正確に言えば、アメリカのボーイング社が作製したヘルMDプログラムと呼ばれる、ロケットミサイル、迫撃砲、大砲、無人偵察機をレーザー砲で撃ち落とすシステムの実験rに成功した。

p146 アメリカ海軍は新しい電磁波砲を向こう10年以内には実戦配備する。まず、手始めとして、小型の高速艇や、開発中の水上戦闘用特殊艦艇に備えつける。

p147 アメリカ海軍の発表によると、電磁波砲は1回の発射あたり電力にして1ドルしかかからない。「アメリカ軍の潜水艦や海上艦艇やトマホークミサイルを1回発射すると100万ドルかかる。ハープン・対艦ミサイルはほぼ50万ドル、5インチ砲でも3000ドルはする。」

米軍の今後

p167 アメリカ軍はこれから大きく変わることになる。

その最大の理由は国防予算が減らされ、世界の警察官であることをやめざるを得なくなるからである。

今後の米国の政治

p197 私の予想に反してバラクオバマが大統領に当選し再選まで果たすことができたのは、人口構成が歴史的とも言える大変化を遂げたおかげである。アメリカ人のうち、予測以上の勢いで白人の占める割合が縮小し、白人国家ではなく、本当の意味で多民族国家になった結果である。アメリカも経済機関やシンクタンクの多くは20年も経てば、アメリカでは白人が過半数を割るだろうと予測している。人口構成だけでなくアメリカでは社会も大きく変わった。家族制度が揺らぎ、いまやアメリカの家庭の過半数が母子家庭で父親がいない。この結果、アメリカ社会の基本的な性格が大きく変わってきている。

米国がいつまでも友人と思ってはいけない

p205 アメリカは友人を裏切ってきた

アメリカも民主党は友人を裏切ってきた。下記に、例を挙げる。

イランのパーレビ国王→ホメイニ

ベトナムのゴ・ディン・ジェム大統領→軍にクーデター

中国の蒋介石の国民党→毛沢党

エジプトのムバラク大統領

キューバのパチスタ政権→カストロ

p211 アメリカ外交がこうした情け容赦のない行動をとり、友人として扱ってきた外国の政治家達を簡単に見捨ててしまう背景には、典型的な評論家型の無責任なアメリカのマスコミの存在がある。

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#5 *********************************************************

Twitter/Facebook 2014年12月

社会学者の橋爪大三郎(元東工大教授)経済学者小林慶一郎(慶応大教授)著「ジャパン・クライシス」 筑摩書房

(以下で、括弧内ノ数字は公平が記入)

 国の借金である国債が地方債も含めると1000兆円を越えGDPの2.2倍になる。このまま続ければ、1000%のハイパーインフレになり。百円が新一円になり、預金はゼロになり、年金は消え、自殺者が50万人もでる。

 なぜハイパーインフレになるか? 話しは簡単、税収が40兆円(2015 年:55兆円)しかないのに国家予算は一般会計だけで90兆円(2015 年:96兆円)。不足分を国債(2015 年:37兆円)を発行してまかなっている。これを20年続けてきた。これでは、時間の問題で国際を買う人がいなくなる。こうなれば国債の金利を上げなければならない。その結果全ての金利が上がりハイパーインフレになる。

 国債の他に現行の年金・医療介護制度(2015 年:32兆円)を続けると向こう50年で700兆円の隠れ負債がある。

 国債は国民1人当たり800万円であり、国民1人当たりの金融資産は1200万円だから、実質は国民1人当たり400万円を負担しなければならない。

 ハイパーインフレを防ぐ対策は消費税を35%にして、且つ、社会補償制度の見直し・統治機構を変えての経費削減をすること。

 社会学者の橋爪大三郎先生は、日本の将来を憂いでこの本を書いた。全国民の必読書である。日本国民は皆で読んで立ち上がる時である。

 神風が吹かない限り、最後は国民1人当たり800万円を負担しなければならない。これをハイパーインフレになって一気に行い、国が大混乱になり国際的信用を失うか、消費税を35%にして国民は50年間で負担するかの方法論である。

 生活費の半分は借金の生活が長続きしないのは、中学生でも分かる。政治家も霞ヶ関も分っているのに黙っている。銀行は国際を買わないと国債の価格が下がるので、近視眼的に国債を買い続ける。これらの状況は戦争中と同じで、負けると分かっていても降参しないのと同じ。日本は同じ過ちを犯している。

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#4 *********************************************************

ホノルル 般若湯の会(2014-5-8)での読書感想

1.読んだ本とその理由

夏目漱石著 「こころ」

 本書は1914年(大正3年) 漱石47歳の時に、朝日新聞に連載され、その後単行版として出版された。書名は新聞連載時には「こころ、先生の遺書」であったが、単行本では「こころ」になった。

 1956年(昭和31年)には、高校の教科書にも採用され文庫本としては、出版業界で最高記録である673万部が出版されてきたベストセラーである。

 私は若いころに「心」を読んだことはあるが、何か「暗い」印象であったが、最近NHKの「100分で名著」(注1)で「こころ」を取り上げられて「悩む力」のベストセラーを出した政治学者の姜尚中さん(カン サンジュン、元東大・現聖学院大学教授)の解説をきいている中に、また読みたくなって再読した。面白いことに、今回はiPadで電子版を読んだ。

 100年前の本であるにもかかわらず、人間の悩み・生き難くさは現代にも通じる。やはり、漱石は偉大な作家であると再認識させられた。

 

2.内容

学生である私が夏休みに鎌倉の友人の別荘に滞在した時に、海岸で外国人と一緒に居た「先生」を見つけ、直感的に「自分の師である」と考え積極的に接近して、交遊することになった。その後東京に戻ってからも、先生の御宅を度々訪問して、先生のご高説を伺って、いよいよその尊敬の度が上がった。

 その先生は実際には先生ではなく、大学は卒業をしたが定職に就かない人(姜さんは当時流行の高等遊民と呼ぶ)だったが、私は先生の話は自分が通っている大学の先生より、自分の人生に役立つと考えた。

 先生と私とのやり取りの詳細は書かれていないが、先生の代表的な発言をあげると「私は寂しい人間です。貴方も寂しいから私を訪ねるのでしょう」「私は、私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより外に仕方がないのです」「貴方は真面目ですか?」「自分は死ぬ前に一人だけ信じられる人に会いたい」などである。

 先生は自宅の近くの雑司ヶ谷墓地にある一つのお墓に参るが、他人が同行するのを好まなかった。何か私にも奥さんにも言えない秘密があるようだった。

 先生の留守の時に先生の奥様とも話したが、ある時から主人は変わってしまったと感じて、心配している様子だった。

 私が先生に最後に会った時、先生は「貴方は本当に真面目ですか? 私のたったひとりの信用できる人になってくれますか?」と言ったので、私は「はい、私は心の奥底から真面目です」と答えた。

 私はその後大学を卒業して、父親が病気になり故郷で数ヶ月を過ごして東京に戻ってくると、先生から分厚い手紙が届いた。その手紙は先生の遺言であった。

 

3.先生の遺言(「こころ」の第3部)

先生には同じ故郷の親しい友人Kがいた。Kは優秀で、且つ、努力家であり、先生は何をやってもKにかなわなかった。

 そんな先生がKを人間らしくしてあげようと(注3)、強引に自分の下宿に引っ張り込んだ。目的は下宿の未亡人とそのお嬢さん(美人らしい?)達の異性に接しさせようと企てたのだ。

 先生のこの計画は予想外に上手く進んで、Kはお嬢さんを恋するようになってしまった。先生はそのお嬢さんが以前から好きだったので、先生は大変なショックを受けたが、友人には黙ってお嬢さんに求婚して、母親の承諾も得た。

 この事をKは母親から聞いて、深く傷ついて(注2)自殺してしまった。先生も深い責任を感じて悩んでいた。

 先生は江戸時代の末期に生まれてすぐに養子にだされ、大学まで卒業させてもらったが、父が亡くなった時に、それ迄頼りにしていた叔父さんに騙されて遺産を騙しとられてしまい、それ以後人を信用することができなくなってしまった。

 先生は長年悩みぬいた末、最後に自殺をしてしまった。先生は遺書の最後に乃木将軍の明治天皇への殉死に触れた。「乃木将軍は西南戦争で敵に軍旗を奪われ責任をとろうと思っていた。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のうと思っていて、死ぬ機会を待っていたのです」私も、その時がきました。私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。

 

4.漱石の日本の近代化に対にする考え

漱石の明治44年東京での講演「現代日本の開化」

日本の開化は地道にのっそりと歩くのではなく,やっと気合をかけてヒョンヒョンと飛んできた。一口に言えば、日本の開化は上滑りの開化であるという事に帰着するのである。しかし、「それが悪いからお止めなさい」と言っているのではない。このことは、事実止むを得ない。涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならないというのです。この結果人々は、日本の近代化がもたらした孤独に悩む。

 

5.真面目であること

 日本の近代化は自ら押し進めたのではなく外国からもたらされたのが問題で、孤独の陰が広がっている。これを憂いて、漱石がだした答えが真面目である。近代化がもたらす恐怖と向き合った漱石。その解決策が人間関係で「真面目」であること。

 ただし、私には現在の「真面目」とは少し意味が違うような気がする。姜中尚(カン サンジュン)聖学院大学教授は「真面目」とは、はぐらかすことができない、お前の正体は何だと自問自答して、そこをハキッリ見極めて、相手に接する。つまり、自分が全部裸になって、相手を受け止める。あるいは、自分を全部さらけ出して相手と向き合うことであると解説する。

 晩年の漱石は、この真面目を重視して、「虞美人草」でも、次のように触れている。「人間は、1年に1回は真面目にならないとイケナイ。真面目とは真剣勝負のことで、人間全体が活動する意味である」

 階級制度があり自由がなかった江戸時代から明治時代へと日本は急速に近代化して、人々の価値観や生き方が大きく変わった。漱石は「自由・独立・自己にみちた現代に生まれた我々はその犠牲としてこの寂しさ(孤独)を味わっている。この孤独を噛しめていないから、本当の人間関係が作れないと、人の心の奥底を描いた。

 漱石は江戸末期に生まれた。漱石は33歳の時に、政府からロンドンに派遣されたが、そこで見たものは、石炭を焚くことによる公害と、人々の荒んだ心であり、これが文明の宿命だと感じた。

 

6.「こころ」は現代にも通用する

 時代が大きく変わった時の人間の孤独感・生き方の難しさは江戸⇒明治⇒大正、戦前⇒戦後(欧米のように血を流して勝ち取ったのではなく、与えられた民主主義)、そして現代のIT化・グローバル化でも共通である。例えば、自殺・いじめ・引きこもり・理由のない無差別殺人なども、同じ原因で起きていると私は考える。

 

注1.NHKの「100分で名著」の他の出演者

作家  島田雅彦、アナウンサー 武内陶子、タレント 伊集院 光

 

注2.姜 中尚(カン サンジュン)は、Kの自殺の原因は単なる失恋ではなく、書物で自分の周囲を取り巻き城を築いていたが、この城が崩れたことにあると解説する。すなわち、異性に接すると・自分では異性に興味を持ってはイケナイとしてきた城が崩れた。

 

注3.姜 中尚は、先生は自分がKより優れている点(世故に長けている)をKに見せたかったからだと解説。

 

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#3 **********************************************************

  ホノルルの般若湯の会、読後感 公平良三 2014/01/17

  私がここ2年間「旧約聖書を読む」の講義をうけている元東京工業大学教授の社会学者である橋爪先生の著書

  橋爪大三郎著 アメリカの行動原理 PHP出版 2005

橋爪先生の「不思議なキリスト教」は2013年には30万部のベストセラーになった。橋爪先生は天才奇才の小室直樹の弟子である。

  さすが、社会学者の観察は鋭く、家族連れで米国に住み着いて40年の私でも、目からウロコがとれた感がある。

  以下、ポイントを要約する。(頁)

  1・日本は隣人である_、言うことをハッキリ言う腕ぷしの強い米国を理解しなければならない。(16)このためには、アメリカ研究所が必要。(214)また、米国を理解するためには、キリスト教を理解することが必要。(218  

2・アメリカの社会はどうつくられているのか?絶対普遍な個人の自由に基づいている。個人を束縛する組織はなく、中間集団(社会学の用語で英語ではアソシエーションという目的をもって集まる集団)があるだけ。この中間集団がアメリカ社会全体を束ねるのではなく国家が束ねる。  

日本はこの反対で学校・会社・村落・家族など多数の中間集団が存在して個人を束縛している。(21

  4・アメリカとは何かを一言でいうと、旧大陸で起きた文明が新大陸に移ってきたこと。新大陸の特徴は伝統の制約がないので制度を思い通りに設計して自分の社会を構築できること。(28

  5・アメリカはプロテスタントの、その中でも個人主義のピューリタンの人々が作った。(38

  アメリカのピューリタンは聖書には書いてないのに、新大陸こそ神が与えた自分の国であると考える。(47)この点でアメリカはイスラエルと建国の事情が同じなのでアメリカはイスラエルの肩をもつ。(48

6・法律的に英国と米国の違いはコモンロー(慣習法)は同じだが、アメリカには英国にない成分憲法がある。(55

  7・アメリカでは信仰の自由が保証されているので、公立学校ではダーウィンの「種の起源」は教えない。理由は「種の起源」を否定する宗教の一派があるからだ。米国では信仰の自由を憲法で保障した結果、プロテスタントには50以上の宗教がある。(53

 8・アメリカでは選挙で選ばれる役人の数がとても多い。従って、日本の官僚制はない。大統領が替われば、多くの役人も変わる。このシステムは人民のための行政を行うためである。(100

  8・米国は言論の自由を重視する。アメリカには全国紙は殆んど存在しな。従って言論弾圧はできない。(103

  ・先住民のインディアンの土地を盗ったか?アメリカの論理は、自然に対する所有権は農業を行うときに始めて出現する。それ以前の狩猟・採集の段階では自然と人間の結びつきは偶然的である。従って、インディアンはアメリカの土地は所有していなかった。(115

10.アメリカは元々は、他国のことには介入しない孤立主義(モンロー主義)だったが、日本の真珠湾攻撃以降日本のようなおかしな国が出てこないように注意し、出てきそうになったら先に叩くという戦略になった。(121

  11.アメリカ文化は旧大陸からの独立を指向する。アメリカ人はヨーロッパ人が遊ばないスポーツで遊ぶ。アメリカンフットボール・野球・バスケットボール・アイスホッケーなどである。(126)、飲食物でもハンバーガー・コカコーラ、エンターテインメントでは、ミュージカルなど独自の文化を生み出し、世界中に広まっている。(129

12.映画は誰もが手掛けなかったが、ユダヤ人が手掛けハリウッドを作った。(135

  13.アメリカとソ連はよく似た国だった。いずれもヨーロッパ文明を基礎にしてヨーロッパの外側に広がった大陸である。マルクス主義をプロテスタント同様の宗教と考えれば良い。(156)両国は似ているのに、敵対関係になったのはソ連が私有財産の自由を否定したことと、ソ連が強くなってヨーロッパに攻め込まれたらこまると考えたからである。(162

  マルクスは出エジプトのモーゼ・レーニンは旧約聖書の予言者ち考えると理解できる。(159

  14.アメリカから見ると日本は勝てる可能性がないのにアメリカに戦争をしかけた不思議な国である。(165

  15.日米の関係が悪化したのは、日露戦争以後、満州の鉄道を日米で共同建設しようとの提案を日本が断った。直接のきっかけは193612月の西安事件の後で米国と国民党・共産党が密約をかわしたのではないか?(179,182

  16.アメリカの2大政党は日本の自民党内の派閥のようなものである。また、アメリカの政党には、党議拘束はない(190  

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『 世界がわかる宗教社会学入門 』 橋爪 大五郎 著

1.    日本人の宗教

葬式や結婚式のときにお世話になるのが宗教だと、日本人は思っている。だから、それ以外の場所に宗教が現れると警戒する。こういう日本人のあり方は特別である。欧米でもイスラム諸国でも、インドでも東南アジアでも、世界中ほとんどの国々は、宗教は日常生活にすっかり溶け込んでいるからだ。

2. 日本人は、宗教を、知性とむすびつけて理解することができなかったのは、文明国としては、めずらしい現象かも

しれない。

3. 社会学は、社会現象を科学的に解明する学問

社会構造にまず注目すると、さまざまな例が考えられる。人びとの行動パターン化する(予測可能にする)ものは、

みんな社会構造であり、法律、制度、役割、文化、規範、組織、情報などが含まれる。そうして、宗教も社会構造で

ある。これは社会構造の中でも、もっとも重要な社会構造となる。

 4. ヴェーバー宗教社会学プロテスタントに特有の「禁欲」の考え方が、資本主義経済の成立にとって不可欠だったといい、驚くべき結論を示している。ヴェーバーは、世界中の宗教を比較し、各国社会の差異を解明する道を開いた。

5.「宗教」は明治の造語

「宗門」といい、天台宗、真言宗以下、幕府が公認した仏教の宗派を指し示した。キリスト教は「切支丹」。邪宗門の扱いとなる。儒教は「儒学」とよばれ、宗教として意識されてはいなかった、

6.幕府は宗教活動を禁止

江戸幕府の政策、そして明治政府による。幕府は、布教して信者を増やすという一切の宗教活動を禁止した。それにかかわり檀家制度をつくり、僧侶の収入を保証した。

7.神。日本の神は死者

最後の審判を受け、神の許し(救い)を受けた者だけが神の国に入るのが正統なキリスト教の死生観である。神だけか、人間も死ぬと、神様に祀られたりした。(菅原道真、徳川家康、明治天皇、靖国の英霊)。日本の神は死者であり、死者たちの神である。キリスト教のGodを「神」と訳したのが、そもそも誤解のもとといえた。

8.儒教@日本は思想、@中国は制度

日本人は、儒教を“思想”だと受け取った。しかし儒教は、社会を実際に運営するための“マニュアル”である。

9.食物規制

ユダヤ教では「申命記」に、食べてはいけないものがずらりと書いてある。イスラム教にも、厳格

な食物規制がある。ユダヤ教はミルクと肉を一緒に食べてはいけない。食物規制を厳格にすると、

異教徒の人々を食事に招待できず、結果、友人になりにくい。まして結婚ができないなど、信仰を

じくする人々の結束を強めていくなど、信仰の共同体が次世代への再生産につながる具合になるの

が、食物規制の狙いともいえる。

 10. 死んだらどこへ行くのか

まずキリスト教は、人間は最後の審判の日に、死者も全員復活して裁きを受け、神の国に入るか、永遠の炎に焼かれるかが決まる。どちらも生きたまま行く場所で、死んだまま行くわけではない。

イスラム教もだいたい同じ。審判の結果、天国か地獄かが決まる。

ユダヤ教は、復活を信じるのは少数派だけで、死ねば土くれになってしまうと考え、死者など存在しない。唯物論といってもよい。

これらの宗教は、要は、今いきているこの人生に集中すべきだと言い、それには、神を信ずることだ、と言うのだ。

神を信じれば、死後のことはかんがえなくていい…のが、一神教だ。

儒教のかわりに道教が、死後の世界を詳しく描く。地獄、閻魔、鬼…。中国に伝わった仏教は、道教のイメージを借りて、地獄/極楽のストーリーを膨らませた。

 11. 日本の仏教

日本に仏教が伝来して1500年近くの間、すっかり日本に土着化した。が、今の日本の仏教から、オリジナルな仏教を推し量るのは危険だ。輪廻を信じることなく、仏教の理解はないものであるのに、日本人は輪廻を信じてはいない。理由は、もし輪廻が信じられるなら、祖先崇拝はあり得ないからだ。では、仏壇に先祖の位牌を祀るというのは、仏教ではなく、道教のやり方である。

 12. 仏教とお寺

仏教では、すぐ寺がイメージされる。仏塔(五重の塔、三重の塔、多宝塔…)、金堂、鐘楼など。こうした伽藍の配置は、中国で完成、それが日本に入ってきたもので、インドでは、お寺にあたるものはない。

 13. 大乗仏教の経典

釈尊没後、数百年たってから、だんだんに作られるようになった後世のものとして証拠は明らか。仏教学の常識にあたる。

 14. 多くの仏陀たち

バラモン・ヒンドゥー教から見て、釈尊は数ある神々・覚者たちの一人にすぎない。阿弥陀仏は、Amitayus(無量寿)の音訳。寿命無限の光輝く仏陀という意味。

今日の有力な説によると、実体はイランに広まっていた拝火教の神(アフラマズダ)が仏教化したもの。法華経(妙法蓮華経)は、白蓮のごとく正しい教え、にあたる意味。

 15. 仏教の中国化

仏教は哲学であり、思想であり、薬学や建築や美術、天文そのほかの実用知識だけれども、要するにそれだけと割り切って、現実政治はいままでどおり儒教で行うことにします。

日本の仏教の不思議は、市況経典を日本語に訳さないで、漢文のまま用いたことです。 漢文も、もとはと言えば翻訳だから、それをさらに日本語に訳してもバチは当たらなかったはず。聖書のルター訳(民衆ドイツ語訳)が宗教改革を生み出したことを考えれば、親鸞や日蓮が経典を日本語に訳さなかったのは、真に残念なことでした。

 16. 禅宗

禅宗は、インドになく中国で生まれた、中国特有の仏教の宗派です。

 17. 最長(天台)空海(真言)

最澄(762-822)秀才タイプ。天台宗を学び、帰国。比叡山に延暦寺を開く。天台宗の開祖。

空海(774-835)天才タイプ。長安で真言宗を学び、高野山に金剛峰寺を開く。真言宗の開祖。

浄土信仰は、やや変則的。

 18. 法然(浄土宗)

法然(1133-1212)浄土宗の開祖。

 19. 親鸞(浄土真宗)

親鸞(1173-1262)浄土宗には限界を感じ、その先を行く浄土真宗のアイデアを得ます。

 20. 日蓮(法華経)

日蓮(1222-1282)親鸞と並ぶ、鎌倉仏教のスーパースター。

 21. 江戸幕府の宗教政策

各戸ごとに宗旨を寺社に登録させ、信者(住民)の誕生と死亡を管理させ、登録は変更不可とする「宗門人別帳」がそれだ。こうして江戸時代、信仰の自由はなくなってしまう。宗派が宗教目的で信徒の集会を開くのも禁じた。ただし法事は例外。宗教活動を一切禁じられた寺社は葬式しかするない。葬式で生活が保障された上、宗教活動を禁じられた仏教は堕落していく。江戸時代から葬式は僧侶の独占事業。

 22. 戒名

高価な戒名をつける習慣が普及するのは、檀家制度が崩れ始めた戦後のことで、ごく最近の現象。江戸幕府は、日本人全員に、許可された宗派の仏教徒であることを義務づけた。

 23. 儒教は宗教なのか?

それは、宗教を、どう定義するかによる。

宗教を狭くとらえ、神を信じるのが宗教だとするなら、儒教は宗教ではない。むしろ、政治といえる。儒教は神に関心を持たない。しかし、ある社会の人々が、何を考え何を信じ、その社会を支えているかという観点からみると、確かに儒教は、中国社会の価値観の骨格をなし、当然、他の国でいう、宗教である。宗教の社会的役割というのは、人々に価値の根拠となり、人間の行動に指針を与え、人々の世界観を供給し、社会がうまく運行するよう社会構造を支えることであるから、中国では儒教が宗教的役割を果たしている。

中国に儒教の成立は、中国にもともとあった宗教が祖先崇拝だったと考えられる。

なお、日本人はこれに比べ、祖先崇拝の考え方が弱い。

 24. 中国の天

統一国家の統一権力を可能にする仮説構成体(フィクション)が天。祖先崇拝を下敷きにしつつ、一歩抜け出ている。天の思想は、祖先崇拝を巧みに転轍した儒教的イデオロギーである。

 25. 中国と欧州

中国の皇帝と臣下の関係は、ヨーロッパの皇帝や王と家来との関係とは違う。

 26. 朱子と朱子学

朱子(1130-1200)宋代の儒学者。姓は朱、名は憙、

27. 朱子学と水戸

 28. 森南大・遺言(生死を問題とせず)

 29. 日本の儒教と幕府 

日本の場合、幕藩体制がすでにできあがっていたところへ、儒教を勉強するようにと、幕府行政指導がありました。

儒教のもうひとつの役割は、教育によって能力を高めた知識人たちが、国家・社会・人民のために尽くすようにさせること。武士に儒教の素養があったおかげで、日本の国内改革(農業、商業、工業の発展)にプラスになりました。儒学は合理主義の思想ですから、近代化を準備する助けになります。

 30. 日本の儒教の貢献

儒教の勉強に熱中したのは、武士としてのプライドを得にくいマージナル(境界的)階層、下級武士や町人、農村上層部の人々でした。彼らが武士と同じ教養をもっていたのは、階層の壁を突き抜けて明治維新が起きる上で、かなりプラスに作用した。

 31. 経済と宗教

ユダヤ教では、利子をとるのは禁止された。それは、労働の対価ではないからです。『ヴェニスの商人』で、ユダヤ人シャイロックが高利貸しで登場する背景理由に、キリスト教徒は異教徒なので、宗教法の埒外だから。イスラム教の場合も、利子は禁止。

ヴェーバーの解答は、プロテスタンティズムがそれをなしとげた、というもの。ピューリタニズムは、世俗の職業を神聖化し、労働を美徳としたが、、同時に、個々人がその成果に執着することを禁止します。そのため、彼の労働の成果は、自分のものではなく神のもの、という性格を帯びる。彼らの構成する法人(企業)は彼個人と区別されて、神の栄光をうけつつ拡大再生産を始められる。そのプロセスは徹底的に合理化され、かくて資本主義がスタートした、というのがヴェーバーの見解。

 32. 日本人の勤勉

宗教(特にキリスト教の信仰)をもたない日本人がなぜ資本主義を成功させたのか、という疑問も湧いてきます。この疑問には、二通りの解答が可能です。一つは、日本人は表面上宗教を信じていないように見えるが、実は宗教に等しい信念を持っているとするもの。もう一つは、日本人は宗教を信じてないからこそ資本主義で成功したものするもの。

日本人の暗黙の行動様式を、「日本教」とよんだのです。

 33. 政治と宗教

キリスト教の最大の成果は、地上の権威(政治権力)と神の権威(宗教的権威)とを分離したことで、ここから、政教分離という近代社会の政治原則が生まれました。

 33.5 宗教と法律

法律についても、宗教が深い影を落としています。

 34.葬礼と宗教

日本では仏教の独占事業ですが、これが江戸幕府の政策だったことを前に述べました。もともとの仏教は世俗の労働を禁止していまたから、出家写に葬式を行えるはずもなく、中国でも葬式は原則として儒教ないし道教のやり方です。

イスラム教は火葬でなく土葬ですが、火は地獄を象徴するので、最後の審判まで眠りにつく死者にふさわしくないとされます。キリスト教も、火葬を好みません。やはり最後の審判の観念と関連あります。

 35. 宗教とテロ  

イスラム教徒も、キリスト教徒もテロを引き起こします。無視論者(アナキストやマルクス主義者)も、テロを引き起こします。宗教とテロは関係ありません。テロリストが、宗教を口実にしているだけなのです。

 36. 21世紀に宗教が重要 

宗教は一層重要になっている。人々の思想や行動を、根本のところで支配しているのが、宗教だ。そのことを理解してもらえれば、本書を書いた甲斐があるというものだ。

東京財団は、「『知らないでは済まない宗教』の講座」という10回のテレビ番組制作にあたり、私が案内役を務めることにもなった。

 37. 

 38.

 > キリスト教 <

 101 韓国でキリスト教

韓国が父系社会だからではないのか? 家庭の権威は父親にあり、日本は父系社会ではない。

 102 イエスの父は誰か?

ヨセフ、マリア、イエスが聖家族(サグラダファミリア)と言われている。

 103 キリストの愛

ギリシャ語にはLoveに相当する言葉が三つ、フィロスとエロスとアガペーがある。アガペーは無償の愛で、相手に価値がなくても好きになる。

 104 新薬聖書はalmost パウロ(64

『新約聖書』の書簡の大部分は、パウロが執筆したものです。そのあと、紀元64年のローマの大火の折に、皇帝ネロに捕えられて処刑されました。

 105 パウロの思想

いくつかのパウロの主張が、キリスト教の性格を決定づけました。まず第一に、神の国は近づいたと言い、こんな切迫した状況では、結婚や家庭生活もおちおち続けられません。そこで、カトリックの聖職者(神父)が独身なのは、このためです。地上は世俗の国王が支配する一方、教会は霊の救済(神の王国)に責任をもつという分担が生じて、二王国論がなり、イエスの「カエサルのものは、カエサルへ、神のものは神へ」という言葉に基づくものです。

 106 ユダヤ教は契約はナシ

キリスト教にあってユダヤ教にない考え方が、契約の更改です。

107 もうひとつ、キリスト教にあってユダヤ教にないのが、個人救済の考え方です。キリスト教でなにがわかりにくい

かというと、神が人間ではないという点です。

神は知的生命であり、同時に人間ではなく、言わば、エイリアンという地球外生命、知性あり、必ずしも人間には好意

的ではない。実在したら、恐怖で悪魔にも見えようが、実は悪魔と神は表裏で似ている構造をもつのです。しかし神は

人間を創造し救済を意図しています。

108 江戸時代・愛とは

「愛」と言えば、それは「仏教」にいう意味。仏教の「愛」はものごとにこだわり執着し続ける煩悩のことで、その「愛」を断ち切らないと覚りは得られないとする。

 109 プロテスタント 宗教改革

宗教改革がプロテスタントを産みました。宗教改革がなければ、アメリカという国家、近代社会も生まれません

宗教改革で大事なことは、キリスト教、それも西方教会(ローマ教会)に特有な現象であることです。  

 110 ルターのドイツ語訳

ルターは、旧約・新約聖書を10年がかりで独語に翻訳し、グーテンベルグの印刷技術にかけ、以降、写本に膨大な時間とコストを要した高価な聖書が一般に普及するようになりました。

 111 ルター訳の独語聖書

ドイツは、今もルター訳のドイツ語聖書が使われる一つの理由は、訳がよく原典に忠実な翻訳であることと、またそれとは別に、方言が多く何が正統なドイツ語かがわからないドイツに、ルター訳にがドイツ語の完成がみられた理由があるからです。

 112 ピューリタンと社会契約

米合衆国の大統領制は、キリスト教を国教とした古代ローマをヒントにしたもので、信仰の自由を守る、という大統領と人民との間の統治契約が憲法の基本になっています。

 イスラム教 <

 113 ヤハウェとアッラーの違い

ヤハウェは、「自分に似せて人間つくった」ので、形がありそうですが、アッラーには形がなく、偶像が作れないのです。

アッラーもまた、生きて存在する神で、死者の神でもなく、「死後の世界」はありません。

 114 カリフは神の使途の代理人

ムハンマドは「使役」ただの人間であることが強調され、彼個人を崇拝するいかなる試みも厳しく禁じられています。

 > ユダヤ教 <

 201 アブラハム→イサク→ヤコブ→エジプト

 202 ユダヤ教は死後の世界ナシ

203 モーゼ

204 ダビデ

205 バビロン捕囚

206 旧約聖書

207 ユダヤ教徒?

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Twiiter/Facebook

公平 良三

201192 (Twitterより)  

プレシニァとはリタイヤしてシニアになる前でビジネスをする人であり、時間・場所・ストレスからの3つの自由を楽しむ。プレシニァ向きの仕事は@経営を任せられる社長がいる企業の会長A仕事量を選べる侍業(??士)B著作C講演D経験と人脈を活かした仲介E時間に縛られないコンサル。私はB-E

012223 (Twitterより)  

今日は気温が高(センター4の上の大寒暖計で昨日はー12度、今日はー5度)雪質は1部を除いて80点。私がスキーをする理由@滑る醍醐味Aスキーと仕事が健康長寿の証、ただ漫然と生きていても意味がない。スキーが生きる目的の1Bスキーが身体を鍛える目的と成果の検証C人に会って話ができる。

 

2012226 (Twitterより)

 

健康長寿でいつまでもスキーを楽しむための公平ルール2012版。雪が降っている時は滑らない5時間のリフト券しか買わない転倒したら休憩ガリガリ音が出るような雪質で滑らないつい無理をするので上手い人と滑らない。ただし私が先頭で滑るのなら良い。


2012年9月20日

日曜、本社ヶ丸登山で1日千米登って千米降りる。下りが暗くなってきて強行軍だったので大変な疲れ。月曜日はまあまあだったが、火曜日は膝の上のももがパンパンにはる感じで階段を降りるのが辛い。でも迎え酒の原理でジムで筋トレ。効果あり。水曜日はかなり良くなったの で、再びジムへ。夜には完治。

 

公平 良三

2013111

 

終戦の遅れの失敗。以下、2011815日のNHK「終戦」より。1945611日、中国の前線視察から戻った梅津参謀総長が天皇に中国の陸軍の弱体振り(公平注:補給体制の不備の為)を報告。心配した天皇が当時の最高決定機関であった戦争指導会議を招集し下記の6人が参加したが結論は出なかった。特に「ソ連の参戦の動き」と「中国での陸軍弱体化」の情報を共有しなかった。これについて、政治学の東大教授姜先生は以下のコメントをした。

******

6人共官僚であり「矩(のり)を越えず」に留まった。自分に与えられた権限に留まり、道から離れないようにする。そこに逃避していれば火中の栗を拾わないで済む。それは優秀であるがゆえにそうする。これは今日でも教訓である。減点主義だから積極的に自分に与えられた権限以上のことをやるリスクを誰も負いたくない。その代わりとして、ともかく会議を長引かせる。たくさんの会議をやる。

 

 

2013113

 

終戦(降伏)が、負けると分かっているのに、遅れたのは当時のリーダー達の責任。当時の日本は天皇・統帥部(内閣とは独立した天皇直結の軍の参謀機関)・内閣がリーダー。明治憲法55条では各大臣は天皇を補助(補弼)することになっていたが、現実には機能していなかった。現在と違ってTVもない時代だから天皇は情報不足だった。6月22日の御前会議に関して、補弼について政治学の東大教授姜先生は以下のコメントをした。

******

国務大臣は独立し天皇に対する輔弼(ほひつ、天皇の行為に進言)の責任を負う。大日本帝国憲法の下、国務大臣の権限は互いに独立・平等である。ここで「独立して」のことばに意味がある。ところがいつのまにか、現状を追認するだけで良くなり、外側から局面転換のモメンタムを期待するようになった。一種の待機主義と言える。輔弼は現在の政党政治のリーダーとは程遠いもので、各国務大臣の意見は統合されない。

 

013113

 

2011815日放送のNHK「終戦」より。19456月始めスイス駐在武官から米国大統領との講話の交渉の話があった? これを米内海軍大臣の秘密命令で講話工作をしていただ高木惣吉少将(東条の暗殺を計画)が米内に報告したが取り上げられなかった。米内海軍大臣は個人的には講話に持ち込みたかったが公式には発言しなかった。阿南惟幾陸軍大臣も同じだった。

*****

高木惣吉談

「それは阿南さんばかりじゃない。日本の政治家に対して私が訴えたいのはね、腹と公式の会議における発言とそういう表裏が違っていいものかと。

一体その国家の運命を背負った人、責任ある人が自分の腹と違ったことを公式のところで発言して、もし間違って自分の腹と違った決定になったらどうするか?職責がこうだとか、ああだとか言われるんですけれど、それはもっともなんです。だけれど平時にはそれでいい。だけど、まさに祖国が滅びるかどうかというような、そういう非常事態に臨んでですね、そうゆう平時の公的な解釈論をやっている時期じゃないじゃないか。

自分は憎まれる者になってもですよ、あるいは平時の習慣を踏み破ってもですねこの際もう少しおやりになつてもいいじゃないかというのが僕の考えです。」

 

2013114

 

6月22日の御前会議で終戦(降伏)の決定をしていれば60万人の命と北方領土の問題が防げた。この失敗の原因を考えると@建てまえ論を述べ本音を言わなかったA情報が共有できてなかった(陸軍の弱体化・ソ連参戦の兆候)Bリーダーの不在C「徹底抗戦」という「空気」に負けた。

Bリーダーの不在」は今日も続く日本の問題点の一つであり、赤井電機の最後、原発自己の始末、民主党の崩壊など多くの例がある。

 

2013131

 

防衛研究所小谷賢調査官

2011815日のNHK「終戦」より。1945年の6月では、ソ連参戦の可能性を示すソ連軍の移動や日本に対する戦争終結の会議が行われるなどの情報を得ており、当時のリーダー6人は日本は負けると分かっていたが何も決められなかった。この結果、624日沖縄陥落・86日広島/9日長崎への原爆投下が行われ、9日にはソ連が中立条約を破棄して対日戦線布告となった。この間の死者60万人、ソ連抑留者57万人の悲惨な結果になった。これについて、防衛研究所小谷賢調査官のコメント

「御前会議とか政府連絡会議もしくは最高戦争指導会議などいろいろな会議をやっているが、会議では決めることが出来ない。要は決める人がいないわけです。首相も外務大臣も陸海軍大臣・参謀総長(陸軍・軍全部長(海軍)にしてもみんな平等に天皇に仕える身分なわけだから誰が勝手にイニシアティブをとって決めることが出来ない構造だった。)危機が迫っているのに、決められない体質は未だに日本人の問題である。東大教授姜先生は「統治機構に問題があった」と言われる。現在の日本の国・企業の統治機構は大丈夫か?

 

201321

 

2011815日のNHK「終戦」より。

米内海軍大臣の秘密命令で講話工作をしていた高木惣吉少将(東条の暗殺を計画)の戦後の談。「太平洋戦争の経過を熟して感ぜられることは、戦争指導の最高責任者達の無為・無謀であり、意志の薄弱であり、感覚の愚鈍さも驚くべきものだ。反省を回避し過去を忘却するならばいつ迄たっても同じ過程を繰り返す危険がある。勇敢に過去を真実を返りみて批判することが新しい時代の建設に役立つものと考えられるのであります。」

まさにその通りであるので、私も遅まきながら日本の失敗を研究中。終戦については今回が終わりで、次は無謀なる戦線の拡大を取り上げる予定。

 

2013520 (Twitterより)

 

月例ウラ山会の山歩き。南大菩薩峠の南尾根大蔵高丸(1781)から約八百米の下り。この日の為に26日間連続でジムの筋トレに励んだ。登山中の持久力は問題なかったが、後遺症として階段を降りる時、股の筋肉に多少の疲労感。一層の努力を決意。

 

201366 (Twitterより)

 

半藤一利氏が文春6月号で第2次第大戦と原発に共通の問題を指摘。「いま起きたら困ることは起きないのではないと思い、やがて起きないに決まっている、絶対起きないという思考回路になるのが日本人の心的傾向。つまり「最悪のシナリオ」はハナから消してしまう。そして絶対起きないことが信念になる

 

201379 (Twitterより)

 

筋トレはスキーと山の為ではない。これは努力を見える化する短期的目標。本当の目的は死ぬ当日まで外に出かけたい。頭が少々ぼけても自分の足で出かけて人に会って話をしたり良い景色を見たい。大腿四頭筋・ハムストリング・腹筋。 http://t.co/bcLEAE8t6g

 

2013912 (Twitterより)

 

メディアが日本を勝ち目のない戦争に導いた責任は大きい。これを軍の圧力に屈したと弁護することはできない。自分の売上を上げる・報道合戦に勝つ・戦争が国益になるとの間違った判断などである。これらの問題は現在のメディアにもある。キャスター・コメンテイタと称する人の資質?

 

2013917 (Twitterより)

 

戦争の失敗を繰り返さない為にメディアの問題点を考える。日本の空気はTV・新聞・インターネットで作られている。報道とワイドショーで記者・キャスター・コメンテイタが資質が低い。会社は発行部数や視聴率を・個人は自分の首を心配する。こうなると受取る側でメディアを鵜呑みにしないことが必要

 

212 (Twitterより)

 

部屋から見る十勝岳(2017米)と富良野岳(1920米)。私が怪我をしないスキーにこだわるのは@怪我すると楽しみが苦しみになるA怪我の治療中は運動ができず健康に悪いB怪我がトラウマになって今後のスキーが楽しめない。 http://t.co/pM502KULma

 

3/3/2014

私の怪我をしないスキー@「スキーの目的は楽しみ、怪我をしたら苦しみ」との意識を持つA理由の如何にかかわらず顔に雪が付いたら止めるB2時間以上靴をはき続けないB疲労し視界が悪い夕方は滑らないC6時間以上のリフト券を買わないD自分より上手な人と滑らない、後ろからついてくるのは構わない。

 

公平 良三

412 (Twitterより)

 

仙台で学校のポン友と会食。仙台の魚は美味しい。中でも「きんき」が良かった。東北大の偉い先生なので話は小保方さん。意見が一致したのは理化学研の組織を守る古い体質。初めに結論ありきで出る杭の小保方さんを潰そうとする意図が明白。

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